日はとっくに落ちていた。
アカリの住んでいるアパート前に立っている街灯が地面を照らしているものの、すぐ下に木の枝がかかってしまっていて光を遮っている。
アカリの部屋は2階の東端にある。
階段は東西に伸びた建物の中央にあり、管理人室は特にない。ショウコが確かめるように立ち止まったが、その隣をタカミツが通り抜け、迷うことなく2階への階段を登り始める。
「た、タカミツくん、部屋がわかるのかい?」
トシオがやや息を切らしながら聞く。そのまま階段は辛いようで、階段の手前で立ち尽くしている。
タカミツは階段の踊り場手前で立ち止り、振り返った。
「このアパートに、人払いの呪法を使えるような呪い師が住んでいるのでもない限り、な」
「マジナイシ?」
「オレは視えるだけだから、呪いには詳しくないが、人が近付かなくなるような暗幕が視える」
タカミツの表情が険しい。
「それってどういう…」
「とにかく急いだほうがいい」
再び階段を上り始めたのを、ショウコが慌てて追いかけた。
「いざというときのために、合鍵を預かっていたのが役に立つなんて…」
歩きながら、バッグの中にある更に小さなポーチから小さな鍵を取り出す。
鍵を開け、ドアノブを回すと、あっけなく開いた。内側のロックはしていなかったようだ。
3日は部屋にこもっていたはずなのに、鍵をきちんとかけていないということだけでも、アカリが普段とは違うのだと分かる。
警戒心が強く、鍵をかけ忘れるなど例え体調不良だったとしても、あり得なかったからだ。
「アカリ!」
ショウコが声を上げる。
部屋の中は暗い。
真っ暗な中、返事はない。ところどころ家電のモニターがぼんやりと光っているだけだ。
いないのだろうか……あるいは、アカリの身に何か……ショウコは慌てて首を振って考えを打ち消す。
「アカリ、どこにいるの! いるんでしょう!?」
「来ないで‼」
ショウコがズカズカと入るのを察したのか、アカリが叫んだ。狭いアパートの一室だから、部屋数はないようなものだ。
玄関からは死角になって見えない、リビングの隅にアカリは座り込んでいた。座り込んだまま動かずに、目だけがショウコを睨みつけている。
「なんで勝手にきたの!?」
「あ、アカリ…」
部屋の電気をつけると、ショウコは絶句した。
部屋の中はキレイに片付けられていた。普段からきちんとした性格だったことが伺える。
だからこそ、うっすらと埃が積もっているテーブルや、花瓶に活けられた花が萎れたまま放置されているのが目についてしまう。
「どうしちゃったの、アカリ……」
毛布を被って座り込むアカリは、ショウコから目を離さない。
「わたしと彼が幸せになるのが、そんなに嫌なの!?」
「かれ…?」
戸惑うショウコを制止するように手を挙げながら、タカミツはアカリの前に進み、膝をついた。
「あ、あなた誰よ!」
「アカリさん、……寂しかったんだろう?」
「な、なによ! あんたなんかに……」
「ソイツも、寂しいモノなんだよ」
タカミツがアカリを指差す。……いや、正確にはアカリより少しズレている。
「……アカリさんが、必死に何かを探しているときにソイツが拾ってくれたんだな」
アカリの表情に変化が訪れる。
「誰かのために生きてしまうヤツだったんだ、ソイツは」
「かれを知ってるの…?」
「誰かのために生きるやつは、誰かに認められたくて生きるようになってしまう。自分の人生の決定権を誰かに委ねてしまう」
タカミツは肩を落とした……ように見えた。
ちょうどよいのか悪いのか、後から歩いてきたトシオが部屋に入ってきた。空気を読んだのか何も言わずにショウコの横に並ぶ。
「ソイツは、誰かに認められたくて寂しかった。アカリさんは、誰かに愛されたいと思って寂しかった」
アカリが目を伏せる。アカリの背後で黒い影が動いた……よくに見えた。
「星が見えないのに、月が見えているような夜にはそういったものが繋がりやすい。」
「そういったもの?」
「この世にすでにいないモノ」
アカリは厳しい表情の中にも、不安の色が見え隠れするようになっていた。聞きたくないといったようにタカミツを睨みつけている。
「オレには祓う力はないし、例えできたとして、それではアカリさんは納得しないだろう?」
「………」
アカリは下唇を噛んで言葉を押し殺し、うつむいた。
「ソイツは寂しい。『なにかしてあげる見返りに満たされる』ことしか、知らないからだ。気持ちってのは、見返りとか条件なんてもんは要らないのにな」
アカリの影が、またも揺らめく。タカミツの言葉に呼応するかのように。
「アカリさんも、同じなんだろう? 一生懸命働かなければ、誰かに尽くさなければ、愛されないと思ったんだろう?」
ショウコはアカリを見つめた。
肩が小さく震えている。よく見れば、目元に小さな雫ができている。
アカリがママに気を遣っているのを、ショウコはわかっていた。だが、どれほど気を遣わなくてもいいと言ってもアカリにはなかなか伝わらないようだった。
アカリは、ママに見限られるのが怖かったのだ。
「ソイツには、オレの言葉は届かない。ソイツには、今、アカリさんしかいないからな。」
「このままにしといたら、アカリちゃんはどうなるんだい?」
やっと落ち着いてきたトシオが聞く。ショウコよりは状況が飲み込めているのは、タカミツをよく知るからだろう。
この場にいながらも、ショウコにはまだ幽霊話が信じきれない。
「ほっとけばソイツの中に取り込まれる。だが、寂しさを抱えたままのアカリさんを取り込んでも、寂しいままだ。結局満たされることができず、次の誰かを探す」
タカミツの口調は揺るがない。
「寂しいモノが、寂しい人を見つけて願いを聞く。寂しさを埋めるためにな。影となって、寂しい人に近付き、願いを聞く。願いを聞いてもらえた人は一瞬心を開く。その隙に、取り憑くんだ。オレは、こういう性質のヤツラを、『影返し』と呼んでる」