加齢すればするほどに人の命(寿命・天命)を考えます。
例えば、今母は83歳で認知症の認定を受け、昼間は看護施設で過ごし夕刻から自宅へ帰ってきます。自宅にいる間は妻が看ています。
もしも、私の妻がそして私が仮に母より先に逝ってしまったら母のその後は?
10月の中頃から叔父、社員の母、そして大変お世話になった方とたて続けに亡くなりました。
夫々に人生を精一杯生きて来た方々ばかりです。周りから見れば家族も恵まれ仕事も趣味もこなし充分活躍した人生と見えますが、ご本人、家族から見ればまだ逝くのは早いと不満だったと思います。其れが人生で定めなのでしょうか。
特に先日は私の誕生日の前に亡くなられた恩人ですが、時たまに会った時の会話の始まりが「社長は、ほんまに元気で顔色いいし」と言えば「米(よね)やん(私の事)もあかなら歳やで」とニコニコ顔で話して頂きました。
通夜の会場でご子息が近況を「父は健康に気を使いそして100歳まで・・・・・」と言っていた日頃の様子をお話していました。
その日の午前中は会社に出社し、社員と会話をして、その後帰宅して昼食を済ませた直後突然に体調変化(脳梗塞)を起こし亡くなられたそうです。
80歳です。周りから見れば、事業を起こし発展させ、また社会奉仕にも貢献した人生は、充分満足のいく所でしょうが、ご本人や奥様始め身近な方々にとっては早すぎます。
私にとっても私自身が勝手に父とも慕っていましたので、この訃報は驚きショックが有りました。
この夏のお盆に帰省した折、お礼に短い時間でしたが挨拶に寄ったのが最後に
なりました。
何時も帰省の折に立ち寄ると、大抵は奥様が先に出て来られ「お父さん米田さんやで」すると何時も大きな事で「よねやん、よう来た、よう来た、上がれ上がれ」と中から元気に出て来られ、奥様と一緒に喜んで頂いた顔と同じ顔が菊の花の中で
微笑んでいました。「よねやん、よう来てくれた」と言っている様にも見えました。
私にとっては恩師です。そして私の勝手な思いですが古里の父でも有りました。
だから会社を辞め20年を経た今日でもこの方に甘えていました。
自分が小さいながらも会社を経営する身となってからは、より大切な人となって
いたのも、どっかに心の隅に認めて頂きたいその気持ちが強く有ったのではと
思っています。ご冥福をお祈り致します。 合掌
米田正憲
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