体長僅か2㎝のハッチョウトンボ・・・・・・重たくて
ある方のブログから
ヴィクター・フランクルのことばを借りれば、「人間の自由
とは、諸条件からの自由ではなくて、それら諸条件に対して、
自分のあり方を決める自由である」
『愛をこめて生きる』渡辺和子 PHP文庫 P.213
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設けられた規則の中で行動や生活のあり方を枠にはめられる
ことは、ある意味、不自由なことであるけれど、自分の責任は
その枠内に収まっていれば、とやかく問われることもなくなる。
その枠をはずされれば、それだけ自由になるが、自分のあり方
を決める責任は、すべて自分に問われることになる。
制服が定まっていれば、それを着ていさえすればいいけれど、
自由服ということになると、選択や判断はまさに自分の責任に
なる。
自分を律することができないうちは、なんらかの規則を与え
られることは、不自由さがあってもありがたいことでもある。
「自由には、その度合いに応じたきびしさがついてまわる」
私心
人間は時々権利は大声で叫ぶが、それに伴う義務と成れば・・・・・・と思う事が
多々ありますね。
人間形成には子供のころからの教育が基本に成っているのでしょう。
家庭・学校・社会・・・・・・もっともその枠からはみ出す人間もいますが、
何であっても自己責任取れる行動でしょうね。
私心
人間は時々権利は大声で叫ぶが、それに伴う義務と成れば・・・・・・と思う事が
多々ありますね。
人間形成には子供のころからの教育が基本に成っているのでしょう。
家庭・学校・社会・・・・・・もっともその枠からはみ出す人間もいますが、
何であっても自己責任取れる行動でしょうね。