妻不明、避難の遅れ悔やむ…43時間漂流の男性
東日本大震災が発生して11日で3か月を迎えた。
福島県南相馬市で自宅ごと津波に流され、漂流3日目に海上自衛隊のイージス艦に救助された男性が
読売新聞の取材に応じた。
あの時、すぐ逃げていれば……。
一緒に流され、行方不明になった妻への思いと、自らを責める気持ちを胸に、男性は「地震が起きたらすぐ逃げるということを伝えるしかない」と、周囲に体験を語り始めた。
「種もみを片づけないで、そのまま置いて避難所に行こうって言えばよかった」。
森林組合臨時職員だった新川広光さん(60)は3月11日午後4時頃、海岸から約1キロの自宅にいたところを、妻の由布子さん(60)と共に津波に襲われた。
地震発生後、勤務先から急いで戻ると、農協で配布されたばかりの稲の種もみがあった。
「どうしようか」と思った末に納屋にしまい、2階ベランダから外を眺めていると、濁流が迫ってきた。
階下から「避難しましょう」と妻の声が聞こえた。
間もなく、衝撃を感じ、2人は離ればなれとなった。
新川さんは、濁流に浮かぶ自宅の屋根を見つけ、よじ登った。
海面はがれきで埋まり、陸地のようだった。
由布子さんの姿を捜したが見つからなかった。
翌日、漂流する屋根に漫画本と蛍光ペンが流れ着いた。
ページを破って「広光妻由布子も津波 12日広光」と書き、由布子さんの生年月日を記し、
持っていた栄養ドリンクの空き瓶に入れた。
「自分が死んでも、妻を見つけてもらえるように」。
自分が生きていた証しを残したかった。
漂流が始まって約43時間後、イージス艦「ちょうかい」乗組員に発見された。
もらった飲料水を口に含むと、感謝の気持ちで涙があふれた。【読売新聞から抜粋】
人の運命とはをこの手記からもかんじますが、其れにしましても
遅々として進まない被災地対策です。
亡くなられた多くの方々にご冥福をお祈り申し上げます・・・・・・合掌
トップリーダーの潔さの決断が求められます。
あの震災から早くも3カ月経ちました。
被災された方々の日常生活は一変しました。
其れに対して、政府の姿勢と言えば多方面で疑問がわいて来ますね。
アンケートからもその対策の遅さに約80%の方々が指摘しています。
一向に進まない復興支援です。
その大きな原因は皆様もご存知の通り、菅首相の個人的な一面から来ている訳ですが、
如何して何時までも総理の椅子に固執されるのか?
これまでの日本のトップリーダーに無かった異質さを感じますね。
この様な事例に似た事が時々我々の身近でも時々聞きますね。
掴んだ権力・地位にしがみ付かれる方が御座います。
その根底は自分しか出来ないおごりが有るのですが・・・・・組織は上手く出来ていて、
大きくても、小さくても乱暴に成りますが誰でも出来るのです。
其れを一旦権力を持つと、人は時々に錯覚を起こすのでしょう。
もっとも一国の総理の責任の重さと比較出来るものでは有りませんが
トップには潔さの決断を出来る度量が必要ですね。
公的な立場に成れば尚更の事です。