「何?いきなり呼び出したりして…」
トトがモノに呼び出されたのはとあるアパートの前だった。
「いいから来なよ」
そう言って笑うモノにトトは恐る恐るついっていく。そして角部屋の前で足を止めると、チャイムを鳴らした。
「…やっぱり、いないか」
モノはそうつぶやくとドアノブに手をかけた。
「…ちょっと!」
トトがたじろぐ暇もなくそれは難なく開いた。
無言で不安気に見守るトトを一度見て、モノは先にドアの向こうに入ると、すぐに違和感に気づいた。部屋中に水が流れる音が響いていた。それは入り口すぐの右手の室内から聞こえてくる。向こう側からカーテンの隙間を通じてわずかにこぼれる日の光を頼りに進む。しかし、すりガラスでできた扉からはぼんやりとした輪郭を描くだけだ。一瞬戸惑ったが、モノは思い切ってドアを開けた。しかし。そこには誰もいなかった。
安堵に思わず息を漏らすと、ふと床に靴を履いたままの僕の足跡がくっきり残っているのに気がついた。まだ微かに床が濡れている。それはそのまま玄関まで跡を残していた。ちょうど強い逆光に暗い影になってトトが立っている。
「どうした?」思案顔のトトに、モノが聞く。
「このスロープは何だろう?」
ちょうどトトが立っている入り口にかけてあるスロープを指さしてモノは言った。
「ヨミがいたからだろ」
「ヨミ?」
トトはその名をシルシの口から聞いたことがある。
「そうヨミ。車椅子に乗ってた」
トトはそれでようやく理解した。このアパートの持ち主も。モノがここに来た訳も。トトはオリジナル・シンの連中が車椅子を引いてたのを思い出した。
「この水の跡はそのヨミっていう子のものじゃなさそう…轍はついてない」とトト。
それからモノは水を止めて、部屋の明かりをつけた。トトが靴を両手ずつに持って、水を避けるようにまたいで中に入る。つま先立てて奥に進むトトの背中を見送りながらモノは念のためにドアの鍵を下ろした。普通の間取りだが、一見して分かるのは整然とした生活感のなさだ。ヒントがあるとすれば机の上にあるPC端末だけ。電源を入れると、暗い部屋で二人の顔がモニター光に青白く照らされた。
長く感じるその数十秒を待って画面が切り替わったその次の瞬間、部屋にチャイムが響いた。二人は思わず息を飲んだ。そして時間をしばらくおいてもう一度。トトはモノのコートの袖をすがるように握りしめた。三度目のチャイムはない。しばらく二人は物音を立てずに二人ただ立ち尽くしていた。
「諦めたか?」
モノが小声でそうつぶやいた瞬間、すごい勢いでドアを激しく揺らす音がした。驚いて思わず声を漏らしそうになったトトの口をモノは片手で塞ぐ。祈るような気持ちでただそれが止むのを待っていた。が、終わらない。もはやただ憤懣をぶつけているだけだ。それならいずれ諦めるだろう。その間もトトは一層モノにすがる。お互い着重ねた服を通して心臓の鼓動が伝わってくるようにモノは感じた。そして、それも収まった。
「…もう大丈夫だ」モノが言うとトトは僕にすがっていた手を話した。
「今の…何だったんだろう?」
「分からない。ただイナギのことは嫌いなんだろうな」
「モノくん、どうしたらいい?」
「…さっきのがまた来るはずだ。今しかない。ここを出よう」
モノは出て行く時、端末についていたメモリースティックを抜いて行った。その時の二人は急いでいた。
だから、後ろのソファに流れていた大量の血には二人は気づかなかった。