自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『ラブホテルとエカテリーナさん22.5』
■あとがき
ラブホテルは、日本ではあまりいいイメージが持たれていないと思います。
でも、先入観のない外国人の目から見れば、日本独特の光景で面白いのかもしれません。
心霊スポットとして有名な秦野市の旧善波トンネルの周辺にはラブホテルが並んでいます。
山の峠に突如現れる数々のけばけばしい建物の群れは、大人のディ●ニーランドとでもいいたくなるような妖しさです。
ちなみに、そのトンネルは通るといつも首筋にきゅっと力が入ってしまう不気味さがあります。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
五輪エンブレム、トートバッグ問題、世界に波紋“日本や中国とは考え方が違う”とも(NewSphereの記事より)
近頃お笑い芸人さんについて思うのですが。
お笑い以外の才能を持っている人が多すぎじゃないでしょうか。
芥川賞の又吉さんが記憶に新しいですが、小説の他にも映画や評論などでも才能を発揮されてる方は多いです。
特にキングコングの西野亮廣さんの絵には、個人的にかなり驚かされました。
しかし、一方でこれはちょっと残念な気がします。
お笑い芸人になったのが、かえって道を遠回りさせたケースもある気がするのです。
それでも成功したらいいですが、お笑いの方でくすぶってしまって他の才能の芽を摘んでしまっている人もいるんじゃないでしょうか。
さて、日本で最大のエンターテイメント産業とは何でしょうか?
それはやっぱり今なおテレビだと思います。
外国人が日本に来て驚くことの一つに、テレビ番組の内容がものすごく手がかかっているというのがあります。
上記のお笑い芸人さんも、やはり主戦場はテレビでしょう。
まだまだテレビ界に若い才能がたくさん集まっているということでもあります。
とはいえ、どれだけ手をかけたところで、テレビはテレビです。
一時の国内的なブームに乗るばかりで、時代や国境を超えて伝わるほどのものはごく少数です。
ここにお金も才能も注入され過ぎてるせいで、日本の他のエンターテイメントの質は正直いってズタボロです。
そして、テレビが最大の娯楽になったことでもう一つ大きなデメリットができてしまいました。
それは、エンターテイメントはただで見るものとの意識を作り上げてしまったことです。
さらに、すぐにコピーや模倣が出回るアジア人特有の著作権などの権利意識の低さも、残念ながら日本にはあります。
おかげで、素晴らしいパフォーマンスができるアーティストでもお金を稼ぐ土壌ができにくくなっています。
1日にレタス3万個製造、完全自動化の工場建設へ 京都(朝日新聞デジタルの記事より)
僕の母がたまに思い出したように遠い目をして言うのが「野菜は昔のほうが美味しかった」です。
思い出というのは誰しも美化してしまうものです。
もし母の若い頃の逸話が全部本当なら、今現在関東の片田舎でのんきにこぶ茶をすするほど落ちぶれている理由が説明できません。
そんなわけで、僕は「また始まったよ」と聞き流していました。
昔の事なら僕だってセントバーナードくらいの大きさのトイプードルを見たことがあります。
それに今より昔のほうが良かったものなんて、歌謡曲とお寺の仏像くらいのものです。
でも、その考えを改めるきっかけがありました。
父が家の小さな庭で家庭菜園を始めたのです。
それで春先から野菜やハーブを幾つか植えて、できたものが食卓に並ぶようになりました。
例えば、トマト、ナス、メロン、スイカ、きゅうりなどです。
まず、食べる前から、誰が見ても分かるほど色つやが違います。
使い古された言い方ですが、口にすると自然の力を自分に取り込んでいるような気分になります。
ルッコラやしそなどハーブも、スーパーで買うものの倍ほど風味が濃密です。
とはいっても、プロの農家が素人に負けるなんてことがありえるのでしょうか?
今の野菜は温室などで育てた促成栽培で、普通に育てるよりずっと早く成長します。
すると、どうしても中身の密度は薄くなります。
しかも、農家は商売ですから、肥料などもできるだけ節約しなければいけません。
実際、野菜の栄養価は50年前のものと比べて実に半分以下にまで落ちているそうです。
同じようなことは、養殖が多くなった魚介類にもきっと言えると思います。
比較するものがないのでわかりにくいですが、市販のきゅうりの1.5倍くらいの大きさはあります。
自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『よその家に泊まって感じたささやかなギャップ』
■あとがき
やはり食事に一番その家の文化が出ると思います。
うちだけかもしれませんが、お味噌汁は朝にしか出たことがありません。
しかも朝は必ずご飯食なので、余計にお味噌汁は朝と刷り込まれてしまっています。
それで、よその家で朝にコーンフレークを食べた時は、まるでおやつなので罪悪感すらありました。
後はタオルの扱いも、意外とその家の文化が出るところだと思います。
親戚の家では、足拭き用のタオルも入る人の分だけ別にありました。
また、顔拭き用のタオルまで家族別々にしているお家にも出会ったことがあります。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『お盆でやす』
■あとがき
人間落ちるところまで落ちると、案外前向きな気分になりますよ。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『エカテリーナさんの知らないロシア22』
■あとがき
エカテリーナさんが『ポーレシュカ・ポーレ』をなぜ知らなかったのかは謎です。
ソ連時代に歌われた軍歌のような扱いだったので、ソ連崩壊の後はあまり顧みられなくなったのかもしれません。
日本の軍歌『海ゆかば』もかつては第二の国歌という扱いでしたが、今では知る人はほとんどいません。
歌曲として素晴らしいので、このまま埋もれてしまうのはとても惜しいです。
そんなことを終戦の日の前日に思いました。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
大リーグ、マリナーズの岩隈久志投手 日本選手2人目のノーヒットノーラン 野茂英雄以来14年ぶり(NHKニュースの記事より)
趣味でピアノを弾いていて、ド下手なりに面白い経験をすることがあります。
個人比ですが、たまに指がめちゃくちゃ軽くてすごく素早く動く時があるんです。
この機を逃す訳にはいかないと、さっそくピアノの前に座って鍵盤を鳴らしてみます。
ですが、いざやってみるとどうも勝手が違います。
確かに指は機敏に反応するのですが、コントロールが効きません。
例えるなら、遊びのない車のハンドルみたいなもので、感覚が尖すぎて思ったより行き過ぎてしまうのです。
不思議なことに、むしろ心持ち指に重みがあるときの方が、思ったところに届きやすいです。
言ってみれば、ちょっと調子の悪い時のほうが案外うまいこと行くのです。
さて、上記事のように、野球試合で記録を作った人たちばかりの実録を見たことがあります。
面白いのは、前日に風邪を引いていたりと決して万全の調子ではないことがよくあることです。
しかし、どうしてこんなことが起こってしまうのでしょうか?
それが勉強でもダンスでも、良くなるためにはいっぱい考えていっぱい練習するものです。
しかし、考え過ぎたり練習しすぎたりすると、一種の思い込みや力みが生まれてしまいます。
それが、正しい答えや自然な動きを、分からなくさせてしまうことがあります。
調子の悪さが、かえってそのやり過ぎな部分の力を抜いてくれる、そんなこともあるんじゃないでしょうか。
また少し違う視点を与えてくれる、そんなこともあるかもしれません。
「お父さんが病気で入院している」「借金を返したい」 デリヘル嬢、ウソをついて客から1500万以上を騙し取る(朝日新聞デジタル)
「友人と友人のままでいたいならその人にお金を貸してはいけない」と言われます。
十年来の友人M君も、親しい友人にお金を貸したっきり連絡がとれなくなってしまった一人です。
相手は求職中の身で、月の家賃も払えない状況に、見るに見かねてお金を貸してあげたそうです。
聞けば、遊戯王カードで一流デュエリストに引けをとらないデッキをいきなり組んでお釣りが来るほどの額でした。
ですが、僕はその友人が人を裏切るような悪い人だったとは思いません。
むしろ、悪い人でないからこそ縁が切れてしまう、そういう恐ろしいところがお金の貸し借りにはあります。
まず、友人にお金を借りなければならならなくなるのは、かなり最終段階です。
親兄弟はもちろん、消費者金融からもお金を借りられない状況です。
ですから、お金を借りたところで返すのは相当難しいです。
そして、返せない間は気まずくて会えません。
その人が義理堅ければ義理堅いほど、かえって会えなくさせてしまいます。
その上、親兄弟と違って、会おうと思わなければいつまでだって会わなくてすみます。
優しさがいつも人を救うとは限りません。
むしろ、人の弱さを悪徳に変えてしまう恐ろしいところが、優しさにはあります。
宇宙のエネルギー放射が20億年で半減、死にゆく宇宙「やがて光消える」(CNNの記事より)
木や山や川など自然を見て、我々はそれを美しいと感じます。
でも、僕は子供の頃からそれが本当に不思議でたまりませんでした。
「美しいと思うからには、何かの理由があるはずだ」と思ってました。
その答えを出してくれたのが「自己相似形」いわゆる「フラクタル」です。
例えば、木は幹と枝からできています。
少し近づいて見ると、大きい枝がまた小さい枝に分かれています。
この枝が小さい枝に別れる様子は、遠くから見た、幹から枝が伸びる様子とそっくりです。
この関係は、大きな山と、山を作っている峠や丘との関係でもいえます。
その他、海岸線も、雲の形も、雪の結晶も、我々の血管などありとあらゆるものは、自己相似形で成り立っています。
ブロッコリは、全体の形と大きな突起が、また、その大きな突起とそれを構成している小さなの突起が、それぞれ同じ形をしています。
また、川の流れも自己相似形です。
これにはもう一つ面白い秘密が隠されています。
どんな川でも、川の長さは、川の始まりと終わりの直線距離の3.14=円周率倍になるのです。
このように、美しい自然な形というのは数式によって成り立っています。
むしろ、数式によって成り立っているからこそ、我々はそれを美しいと感じるのかもしれません。
そして、話は壮大になっていきます。
詳しい話は省きますが、ゼータ関数といわれる特殊な関数があります。
古い歴史がありますが、長い間あまり人の役に立たない、純粋数学だと思われてました。
ところが、これが我々の宇宙を成り立たせている、磁力や重力など合わせて5つの力と関係していることがわかってきたのです。
ゼータの統一と力の統一(サイモン・シン著『フェルマーの最終定理』より抜粋)
またこのゼータ関数にも関係する「素数」は、中学校で習うくらい基本的な数の一つです。
ところが、1,2,3,4…と数えていったときの表れ方に規則性がないように思えるのが、未だに数学者を悩ませています。
一方、放射性物質の原子の放射の周期も規則性がないことで知られていました。
しかし、素数と放射性物質の周期は、不規則性が、一致していることがわかっています。
内閣支持率37%に 不支持は46%(NHK世論調査より)
さて、ここのところ日本の政治が騒がしいです。
日本が岐路に立っているということなのでしょう。
ですが、実のところ、個人的にこれがそれほど目新しいとも思えません。
というのは、今の状況は、いまから50年前ととても良く似ているからです。
時は、安倍晋三首相の祖父、岸信介内閣の頃です
その時も日本の政治は、アメリカとの軍事条約を巡って大荒れでした。
いわゆる60年安保闘争です。
それから4年の1964年といえば何の日でしょうか?
第一回目の東京オリンピックです。
それから日本は高度成長の波に乗り、経済的な繁栄を極めることとなります。
さて、現在に移って、今の政治状況をもう一度眺めてみます。
現在、アメリカとの軍事条約を巡る憲法解釈で荒れに荒れています。
そして、5年後には第二回目の東京オリンピックが開かれる予定です。
60年及び70年安保の時代、青春時代を学生運動に捧げた人達にとって、二度目の人生の春が来たようなものです。
おそらく左派系メディアは、このことを十分意識して、若い学生によるデモ集団をこぞってとりあげています。
しかし、ここで考えてもらいたいのです。
我々が、この55年前の教訓から学ぶべきことは何でしょうか?
結果的に、アメリカとの同盟関係で、日本の平和は保たれ経済的発展を成し遂げたのです。
今回はアメリカが軍事的に縮小する分を日本が補えと言われたための苦肉の策ということです。
確かに、おかげで日本はたくさん損もしています。
しかし、これから数十年の危機的な国際状況を切り抜けるには、仕方のない選択だと思います。
ただ、そう考える日本人は、僕を含めてそれほど多くないようです。
それは上記事の世論調査を見れば明らかです。