2022/6/12(日) 晴/曇
今日の最高気温予報は30°、三十三観音霊場巡礼も一巡し新しい目的地・テーマをどう設定するか迷ったが、玉名市指定文化財で探訪していない「野尻家のナツミカン」と伊倉南方の「肥後四位官郭公墓」を目的地として午前9時半出発のポタリングに出る。
熊鹿ロードを北へ走り、県道113を菱形から天水町へ向かう上り際にある「円台寺の石造笠塔婆」に立ち寄る。
その後県道113を西進し原倉から広域農道に出て、玉名広域農道展望所から天水町方向(写真11参照)を展望する。
坂道を下り途中から左折して小路に入ると、玉名市指定天然記念物の「野尻家のナツミカン」(写真12・13参照)に到着する。市の説明板等はないが、間違いなさそうに思う。
「野尻家のナツミカン」を後にして、伊倉南方の「肥後四位官郭公墓」に向かい途中、「尾田の貝塚」を見て、「尾田の丸池」の畔で昼食にしようと予定変更してルートを変更するとここでアクシデントが発生した。
久しぶりにパンク(写真14参照)した。原因はホッチキスの針を拾ったことだった。が、パンクヶ所を精査しなまま新チューブに交換したのが悪かった。詳細は後段で・・・。
玉名市指定史跡「尾田の貝塚」(写真15・16参照)は、集落中央部にある。
説明板には、「尾田貝塚は、昭和三十七年に玉名高校考古学部により発掘調査が行われた。
貝塚とは、大昔の人が食べた貝類の殻や土器片などを捨てたものが堆積して層をなしている遺跡であり、主に縄文時代の物が多い。
調査では、当敷地の東側と南側の二箇所に調査のための溝が掘られた。
その結果、東側から縄文時代中期(約五~四千年前)の抱石葬の完全人骨一体および破損人骨一体が発見され、南側では大きく傾斜した縄文時代前期と中期の土器片が混入する貝層を層位的に三層に分離することができた。
下層 曽畑式土器(縄文時代前期 約六~五千年前)
中層 轟式土器(縄文時代前期 約六~五千年前)
上層 阿高式土器(縄文時代中期 約五~四千年前)
これらの縄文式土器片の他に石器、貝製品および骨角器等が出土した。
また、この発掘調査では、全面に縄文を施す竹崎式土器(縄文時代中期)は阿高層の下から発見されることも確認された。
この尾田貝塚は、曽畑式、轟式、竹崎式および阿高式の縄文時代前期から中期の土器片が層位的に確認された考古学的に重要な遺跡である。」とある。
「尾田の丸池」(写真17参照)でパンク修理で汚れた手を洗い涼んで、気分良く伊倉南方方向に出発したのだが、野部田辺りで再度パンクした。
原因は、パンク修理の原因となったホッチキス片を除去していなかった事によるもの。思い出せば、前回のパンクの時も、ホッチキス針が原因でチューブの再交換を行うという同じ轍を踏んだ。初心者の頃のパンクは、空気圧が足りずにリム打ちパンクだったのでチューブ交換で済んだが、原因調査の徹底を肝に銘じるべしと悔いたが後のまつりだった。
スペアのチューブもなくトボトボと歩いて坂道を上がっていると、この道を週に2・3回通るといライダーさんが、止まって自分のスペアチューブをくれて、交換まで手伝って頂いた。地獄に仏とはこのことか。有難うございました。心から感謝です。お陰様で17時には、帰宅できました。
今日も無事だった。親切な方に感謝するとともに、お会いできたことを天に感謝する。
熊本(自宅)28km→天水町野部田22km →熊本(自宅)
所要時間7.5時間(実5.5時間) 総計50km 走行累計49,117km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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