2021/6/30(水) 曇/晴
天候は晴/曇、出発時気温30°最高気温予報32°、早朝は快晴だったので雲が出始めたのを見て午前10時出発。目的地は、県道37沿いの放牛石仏(地蔵)49・65体目と、合志市上ノ庄の木瀬遺跡としてポタリングに出る。
未だ6月だと云うのに真夏日が続く。本音は家でジーッとしていたいところだが、夏の季節は先が長い、ならば慣れるしかなかろうと距離を短くして出かける。
国道387と県道37の分岐点少し手前、上須屋郵便局から西へ入った裏道(旧道?)のY字路の角に放牛石仏(地蔵)(写真1参照)が鎮座する。
県道37の沿線とその延長上には、この49体目、一本杉の75体目、野々島の65体目、南田島の50体目、台の59体目、菊鹿町寺田の81体目と放牛石仏(地蔵)が並ぶ。
放牛石仏(地蔵)(写真2参照)には、49体目のプレートがある。
説明板(写真3参照)には、「享保の頃、熊本大工町に鍛冶屋の親子があり、親子のいさかいが因で父が武士の手により非死。息子は感じるところあり仏門に入り30年の修行後、放牛と改め供養のため107体の地蔵尊を建てた。そのうち羽田49体で松葉氏が管理している。
羽田49体目 松葉 氏
徳王96体目 田上しずか 氏
釜尾不明 小林静雄 氏
小塚94体目 木村 氏
下硯川30体目 神鷹 氏 2名
一本杉75体目 ふれあい館」と、ある。
上ノ庄地区の木瀬遺跡を観て、県道30を西に辿り野々島の交差点角の放牛石仏(地蔵)65体目(写真7参照)に参る。
標柱には、「百七体中六十五体目 江戸時代の僧放牛が父の菩提を弔うため建てたものです。享保十四年(1729)年の銘がある。」と、ある。
石仏光背部の上部に「波阿弥陀佛」、左側に「六十五体 他力放牛」、右側に享保十四年三月吉日」と、明瞭に印刻されている。
帰路の熊鹿ロード際のひまわりの花(写真8参照)も、そろそろ終盤か?
写真を撮っている人がいたので、私も・・・。
13時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)21km→木瀬遺跡22km→熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3時間) 総計43km 走行累計41,728km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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