2023/6/1(木) 曇
今日は最高気温28°いつ雨が降り出すか分からない天候に午前中は自宅にいたが、午後16時から傘を片手にウォーキングに出る。
目的地は、西南戦争の弾痕の跡があるという往生院隣の光永寺とする。
光永寺山門(写真1参照)に到着する。以前放牛さんの石臼で訪ねたことがあるが、その時は気付けなかった。往生院には、西南戦争の初戦時に熊本隊が一時本営を置いたと云う。
山門右側の袖壁に貫通穴(写真2・3参照)が見える。弾痕であれば反対側は荒れているはずと、裏側に廻って見る。表側は鋭利な貫通穴ということは、表側から発砲された跡と言える。
そうすると政府軍の銃弾か。政府軍の弾痕とすれば、籠城軍の兵士は途中柳川小路・宇土小路の武家屋敷があるのにここまで出撃したのか。それとも熊本隊本営を偵察に来たが、見つかってしまい止む無く発砲したか。疑えばきりがないが、貫通穴の断面が奇麗過ぎる。
右側扉にも貫通穴(写真4・5参照)がある。扉が固定されていて、裏側は確認できない。
汗が滴る暑さだったが、歩けば気分は晴れる。ここを折り返し点として帰途に就く。
総所要時間2(実2)時間(ウォーキングの記事は1万歩以上)
光永寺放牛の石臼
2023/2/19(日) 曇/晴
今日は昼間最高気温14°早朝の気温17°と、早朝と昼間が逆転した気温となった。午後から曇天も少し明るくなり降雨の心配が少なくなったので、午後13時半からウォーキングに出る。
目的地は往生院の六地蔵と光永寺の放牛石臼とする。
往生院を後にして、東隣の光永寺(写真10参照)を訪れる。
目的の「放牛の石臼」(写真11・12・13参照)は、本堂前左側にある。
標柱説明文(写真14参照)には、「放牛は、寛文・延宝(1670年代)のころ熊本の城下町(現在の新市街辺り)に鍛冶職の子として生まれました。少年時代父が武士の手討ちにされたため、ほかに身寄りのなかった彼はお寺に引き取られ僧になりました。その後父の冥福を祈るため石仏建立の願を立て享保七年(1722)から同一七年までの間に百七体の石仏を建て、現在では「放牛石仏」として熊本の各地で大切にされています。この石臼は放牛が光永寺にいたころ米をつく時に使ったものといわれており、放牛の銘が刻まれています。」とある。ここを折り返し点として帰途に就く。
16時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
総所要時間2.5(実2.5)時間(ウォーキングの記事は1万歩以上とする)
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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