2021/1/15(金) 晴
今日の最高気温18°出発時の気温15°と絶好のポタリング日和だったが、、出発が12時と遅かったので近めの菊陽町を目的地にする。
当初目的は、下津久礼日吉神社の天然記念物の楠と銀杏、鈴木重俊氏宅の木斛の3件だったが、今石城跡、六地蔵、鈴木家跡と多岐にわたるポタリングとなった。
熊本市弓削地区から菊陽町今石地区に入って左側に、今石神社(写真1参照)が目に留まり立ち寄る。
神社の所在地は、元は「今石城跡」であったとの説明文(写真2参照)がある。
「この今石城跡は、当寺この地域を支配していた合志氏の竹迫城(合志市上ノ庄)の南方防衛の山城の一つです。玉岡城(現大津町)や須屋城(現合志市)などと共に薩摩(鹿児島)の島津氏からの侵攻に備えた山城で、位置は下津久礼の白川右岸断崖上の今石神社とその後方台地と推定されます・・・」とある。
社(写真3参照)は、簡素な造りである。
登ってきた階段(写真4参照)を振り返って見る。山城であったことを想像できるなかなかの急登である。
当初目的の下津久礼日吉神社(写真7参照)に到着する。
社(写真8参照)は、入母屋造りである。
馬の神と刻まれた水神社(下津久礼神社縁起より・写真9参照)
下津久礼神社縁起(写真10参照)には、「・・・正治二年(1200)三月十五日、斉院時間大膳太夫、中原親能の四男、摂津守師員が、ときの将軍、源頼朝から肥後国合志郡(現在の菊池郡)の地頭職を命ぜられ、二子村(合志町)に下向して、近江国比叡山(滋賀県大津市坂本)から「日吉山王社」を勧請して守護神としたのが始まりである・・・」とある。
境内には、菊陽町指定天然記念物の楠が、階段途中に同じく銀杏(写真11参照)がある。
説明板(写真12参照)には、どちらの樹齢も約280年、樹高30mとある。
日吉神社を後にして、鈴木重俊氏宅の木斛(写真13参照)を観る。
木斛の際に御堂(写真14参照)がある。屋敷神か?古い屋敷のようである。
説明板(写真15参照)には、「・・・非常に堅い木質のため大木に至らず、通常10メートル内外を限度とする・・・樹齢約300年・・・樹高17メートル・・・」とある。
木斛を後にして14時前に帰途に就くが、途中空地(写真16参照)があり、鈴木家の由来書(写真17参照)がある。
由来書によれば、「鈴木家の肥後初代重時氏は、慶安2年(1649)三河の国(現在の愛知県)から細川家の家臣として肥後の国へ来られ・・・益城町六嘉村に居住し、高野村・辛川村を開墾後、寛文3年(1663)上津久礼村に移住し開墾に着手されるなど地域開発に尽力し、上津久礼鈴木一族の祖となられています・・・けい氏遺言により・・・町当局に寄贈されたものです。」とある。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)18km→菊陽町津久礼18km→熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3時間) 総計36km 走行累計37,849km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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