同田貫刀鍛冶の墓
2020/9/18(土) 曇
降水確率10%の曇り空、最高気温26°予報に午前10時過ぎから、所用を兼ねて玉名市同田貫刀鍛冶の墓を目的地にポタリングに出る。
熊鹿ロード沿線は、彼岸花が盛り(写真1参照)である。
実りの田圃の畔は、防虫の為か草刈りの最中である。写真の彼岸花は、根本までは刈り込んであるが、花の部分は残してある。たぶん、自転車のライダーや散歩の人への気遣いと思う。感謝したいと思う。
同田貫刀鍛冶の墓(写真2参照)は、玉名市の県道347(旧国道208)の右側、「家庭教師の○○○」の裏手にあった。この墓所全体が同田貫刀鍛冶一族の墓所のように思える。
墓所に近づくと右側に「同田貫跡」の記念碑と説明板(写真3参照)がある。
その裏側に「小山上野介正国朝臣四百歳記念」の碑があるので、この辺りの墓碑(写真4参照)が初代の墓碑か。
説明盤(写真5参照)は、
「同田貫は、京都の刀鍛冶延寿の流れを汲み、戦国時代の菊池から玉名へと移住してきた刀鍛冶の一派です。
肥後の国主加藤清正に仕えた刀工清国・正国は清正の名を一字づつもらったといわれ、清国は伊倉で木下同田貫を、正国は小山同田貫を名乗り、ここ亀甲に鍛冶場を開きました。
両同田貫は、清正お抱え刀工として熊本城常備の刀もきたえるなど全盛期を迎えますが、加藤家が改易されると衰亡します。その後再興されて、宗弘。宗春などの刀工が活躍しますが、明治9年の廃刀令以降はしだいに作刀の機会は少なくなっていきます。
同田貫の刀は、剛健にして折れず曲がらず、実用本位に鍛えられところに特徴があるといわれています。」とある。
その後は、国登録有形文化財という玉名高校正門を見に廻る。大正風の装飾の洒落た校舎の正面は見事だが、正門はこれが「国登録有形文化財」か?と納得いかなかった写真は撮らずに帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)26km→玉名高校26km→熊本(自宅)
所要時間5時間(実4時間) 総計52km 走行累計35,190km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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