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熊本から気ままに山と自転車のブログ

木部六地蔵・林田左京亮逆修碑・高六地蔵

木部六地蔵・林田左京亮逆修碑・高六地蔵
2021/9/19(日) 晴

今日の最高気温予報31°台風一過の晴天に、気温が高く成らないうちに帰宅する予定で午前9時過ぎからポタリングに出る。
今日は日曜日、交通量が少ない日曜だから、目的地を南方向の熊本市小沢町西福寺の庚申塔と、木部六地蔵、高六地蔵とする。

放牛石仏45体目を後にして、御船往還旧道を田迎から木部方向に右折する。その道が加勢川にぶつかる辺りに、地蔵堂敷地(写真9参照)がある。写真左側の御堂の中の立像の仏様が鎮まる。


その御堂の正面に位置する所に熊本市指定文化財六地蔵(写真10参照)が建立されている。


標柱説明文(写真11参照)には、「この六地蔵は総高283糎、凝灰岩製で幢身、中台、龕部、笠、宝珠を具備した完形品である。龕部には六面に六道の地蔵を一体ずつ彫刻しており、典型的な中世の形式である。幢身には「文明七年(1475)十二月三日」の紀年銘があり「願主沙門霊珠敬白」「結縁衆吉祥如意」の彫文がある。沙門霊珠は、当時この地にあった曹洞宗寺院、瑞林山元福寺の住僧であろう。」とある。


六地蔵の東に熊本市指定文化財の「林田左京亮逆修碑」(写真12参照)がある。


標柱説明文(写真13参照)には、「林田左京亮能次は菊池の一族で、播磨国(兵庫県)林田村に生まれたので林田と名乗ったといい、後に肥後木部村に住み、木部殿と仰がれたと伝えられている。この逆修碑は天文二年(1533)に左京亮が生前に死後の極楽往生を願って建立したものである。」とある。


木部を後にして、加勢川、緑川を渡り、城南町高の熊本市指定文化財の六地蔵(写真14・15参照)に移動する。


説明文(写真16参照)には、「六地蔵前に建てられている石碑は、明治十八年に建てられたものです。そこに刻まれた碑文は大正七年のもので、延享五年に、高の庄屋喜三次等が願主となって、中台より上部が修復されたことや、六地蔵が持つ意味などが書かれています。
左(下記)は、読みやすいように、句読点と振り仮名を付して表示しました。
當區唯一ノ鎮守六地蔵ハ、今ヲ離ル四百四十年、文明六年ノ建立ニ属ス。口碑ニヨレバ、慶長年間、小西行長ノ破壊スル処トナリ、長ク放棄ニ委シタリシヲ、庄屋喜三次始メ諸子願主トナリテ、此処二再建シタリト云フ。是延享五年ニシ巳、二百七十年ヲ経タリ、然二區内道路ノ拡張改善ノ為、霊境ハ道路ヨリ低下シ、尊体ハ何時シカ傾斜セラレタルヲ以テ、大正七年區民相協リテ霊境ノ擴張、床上ヲナシ、石垣ヲ廻ラシ、ニ基ノ灯竜ヲ奉献シ、三月二十四日紀念式典ヲ執行シ、謹テ區民ノ幸情ヲ捧ゲテ敬意ヲ表シタリ。御地蔵尊ハ彼六道立テ能々衆生ヲ化渡セラレヌハ、軍事ヲ守護セレルガ故ニ、勝軍地蔵ト称シ、病災ヲ駆除セラレルヲ以テ、延命地蔵ト号シ、或ハ財産ヲ保護セラルガ故ニ、寶処地蔵トモ称シタル、然ラバ即チ、我ガ国軍ノ発展ト、自治事業ノ進歩ト區民安寧トヲ祈ランガ為、永遠ニ向ケ石碑ニ記スト爾出。大正七年三月高區民」とある。


現在時刻11時半前に帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)18km→高六地蔵16km→熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3時間) 総計34km 走行累計42,817km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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