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熊本から気ままに山と自転車のブログ

西福寺の庚申塔・放牛石仏(地蔵)90・53・45体目

西福寺の庚申塔・放牛石仏(地蔵)90・53・45体目
2021/9/19(日) 晴

今日の最高気温予報31°台風一過の晴天に、気温が高く成らないうちに帰宅する予定で午前9時過ぎからポタリングに出る。
今日は日曜日、交通量が少ない日曜だから、目的地を南方向の熊本市小沢町西福寺の庚申塔と、木部六地蔵、高六地蔵とする。

新幹線側道を南に走り、小沢町西福寺(写真1参照)に立ち寄る。


門脇に碑(写真2参照)がある。細川家廟所等があり、由緒ある寺院のようである。熊本県指定文化財の庚申塔が訪問の目的。放牛地蔵第90体は私にとって偶然である。


早速、境内にお邪魔する。本堂右側に御堂(写真3参照)がある。


放牛石仏90体目と板碑(写真4参照)が鎮座する。境内を見回すが特段目立つ塔はない、この板碑が庚申塔か?


西福寺を後にして、白川を渡り南下する。釣具店がある交差点で左折した琴平本町の四つ角に地蔵堂(写真5参照)がある。


放牛石仏(地蔵)の53体目(写真6参照)である。道祖神でもあるのか左右の行先を陰刻してある。


説明文(写真7参照)には、「放牛は、寛文(1670代)のころ熊本古大工町の鍛冶職の子として生まれた。彼は三十年間の修業の後、非業の死を遂げた父の冥福を祈るため、石仏建立の願を立て、享保七年より同十七年まで間に百七体の石仏を建てました。
この石仏は、五十三体目で享保十三に建立され、「右みふね、左こしのお(今の益城町木山)とあり、その頃の道しるべにもなっていました。」とある。


放牛石仏53体目を後にして旧道らしい道を更に南下していると、琴平2丁目に地蔵堂(写真8参照)がある。


放牛石仏45体目(写真9参照)とある。春竹に50体目の放牛石仏があるとの案内文もある。
今日の前半は、思いがけない放牛石仏探訪となった。木部六時地蔵、高六地蔵の紹介は次回ブログとする



放牛石仏(地蔵)57体目
2020/6/5(金) 晴
天候は晴れ、最高気温32°。真夏日の今日は、2020/5/14に探訪した宇土市「栗崎の天神樟」は「打越の天神樟」の間違いであった。その訂正の為、午後12時半から確認ポタリングに出る。

帰り道の熊本市中央区小沢町を通りっていると放牛石仏五十七体目(写真7参照)表示が目に留まり立ち止まる。
光背部分に他力放牛、五十七体目との陰刻がある。陰刻は長洲町名石の七十六体目と似ている。


その横に「一町一寺」の案内看板(写真8参照)がある。


そこには、加藤清正公の城下町建設の特徴としての「一町一寺」の区画と、一区画ごとに寺院を招致したことが書いてある(写真9参照)
その一寺としての聖光寺が紹介されている。


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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