熊本から気ままに山と自転車のブログ

北園鬼塚古墳

北園古墳
2018/12/25(火) 晴

今朝は晴天。気温は低いが昼間は緩むと言う。
今日の目的地は南方向、宇城市道の駅「不知火」の予定。
が、予定は決定にあらず。結果は、松合で引き返し、丸目蔵人信久の墓まで行った。
宇土市と宇城市の境の田園の中を走り、北園鬼塚古墳(写真1参照)に立ち寄る。


塚頂には、大木と大石(写真2参照)がある。
東方向には向野田古墳、宇賀岳古墳の丘が見える。
塚頂から眺望すれば、周辺には沢山の古墳がある。


やはり益城、宇土地方以南が狗奴国で、魏の使者が阿蘇の火柱と噴煙を見たというのは北肥後(県北)であろうと推測する。となれば北肥後地方に邪馬台国連合のクニがあったのではかったか思う。
天石と思われる直径2mほどの大石と、石室の一部と思われる大石(写真3参照)



北園鬼塚古墳
2015/4/11(土) 晴

この週末は好天との予報に、宇土半島を一周しようと出かける。午前9時出発。
少し回り道ではあるが、熊本市城南町を目指してR266を南下する。
城南町では、「熊本県文化財資料室」に寄ってみたが土曜日で閉館中。
R266から右折して県道38を西進する。
道の左側に国指定文化財「阿高黒橋貝塚」の説明盤(写真1参照)を見る。


県道38から左折して「ウキウキロード」を西進し、新幹線の橋脚を潜った辺りからウキウキロードを反れて農道を走る。と、田んぼのなかに小高い丘が見える。
直感で古墳ではないかと近づいて見る(写真2参照)


板状の石が散在している(写真3参照)。
「鬼塚」の碑がある。
全ての石が板状であることから石室を構築していいたものと推測する。
この型式は、球磨族の墳墓と思う。北肥後と明らかに型式が違う。
北園鬼塚古墳の場所:(マップファン地図)


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「肥後国古墳探訪記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事