熊本から気ままに山と自転車のブログ

むくろじ古代製鉄所跡(町指定史跡)

むくろじ古代製鉄所跡
2016/10/1(土) 晴

今日も真夏日、14現在の気温31.6度。
家にいても暑いので、玉東町のむくろじ古代製鉄所跡(玉東町指定史跡)の探訪ポタリングに出る。
14時半出発。
熊鹿ロードを北へ走り、硯川から県道31を走り、植木町笹尾の果物直売所の所から農免道路へ左折する。
櫁柑園の中を、吉次峠を目指して標高差150m程の坂を登る。
全体の1/3も自力走行しただろうか?後は自転車を降りてひたすらに歩く。
自宅出発から1.5時間で吉次峠到着(写真1参照)。
写真左側が農免道路、右側が旧道。


阿蘇の煙が見えた(写真2参照)。
私が子どもの頃の周りの大人は、阿蘇の煙の方向をみて天候がどうこうと言っていた。
古代において、中国からの使者も阿蘇の煙を見ている。どの方向から見たのか?


吉次峠から西方向に少し下り、農免道路が右方向に下る所を旧道方向に直進する。
東山地区のこの標柱(写真3参照)から左折し、三ノ岳方向に坂道を登る。


櫁柑園の中のこの道を最奥部まで進むと、注連縄を飾った神域(写真4参照)があった。


左手の山に入ると「むくろじ古代製鉄所跡」の標柱(写真5参照)がある。


「平安時代にかけての製鉄所跡」とある(写真6参照)。


少し奥に進むと、確かに人の手が加わったような大きな岩の有る地形が広がっている(写真7参照)。


随分と山奥と思うが、砂鉄を運ぶか、燃料の炭を運ぶかの選択をした時、砂鉄を運ぶ方が簡易だったのであろう。
それと、この地は有明海からの風が吹き上げて来る。それも重要な要素だったであろうと思う。
製鉄所跡を後にして、坂を下ると正面に木葉(このは)山が見える(写真8参照)。
木葉山の有る伊倉地区は、唐船が出入りした港があった。伊倉から有明海に流れる川を唐人川という。


その左手には奥には、小岱山が見える(写真9参照)。
その東側山麓(三ツ川地区)には、ここと同時代の六反製鉄所跡がある。


右手には、岩野山、平尾山が見える(写真10参照)。
この山の向こうには、「昼夜分かたず光る八つの火が見え」たという古代湖茂賀の浦があった菊鹿盆地が広がる。
その岸に位置する所には、石包丁形の鉄製鎌が出た方保田東原(かとうだひがしばる)遺跡がある。
製鉄技術は、方保田東原遺跡から連綿と続いて来たのか?はたまた断絶があり、新しい製鉄技術者集団が入植したのか?


東右手には、半高山が見える(写真11参照)。連綿と続く一族であれば、反抗山か?
取り留めもなく、古代に思いを馳せながら山を下る。
むくろじ古代製鉄所跡の場所;(マップファン地図)

今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)13km→玉東町むくろじ製鉄所跡13km→熊本(自宅)所要時間3時間(実2.5時間) 総計26km 走行累計18,468km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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