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熊本から気ままに山と自転車のブログ

横島の石塘・まぶ

横島のまぶ(暗渠)
2023/5/5(金) 晴/曇

今日は最高気温予報27°夏日の気温で曇予報に、晴れてはいるが少し雲が出て来たので、天気予報を信じて暑くならないことを期待して、午前11時前からポタリングに出る。
目的地は、昨日探訪出来なかった玉名市横島町のまぶ(暗渠)とする。

熊鹿ロードを北進し、県道31から田原坂を経由して、国道208を進み伊倉を通り横島町を目指す。途中の道沿いには、あちこちでオオキンケイギク(写1参照)を見る。この花は、環境省が特定外来生物に指定し、移動が禁止されている。


横島町の石塘に着いた。まぶ(暗渠)は、一昨日(下記)の記事の写真12に左側の民家の右横に「三村章太郎信道顕彰碑」(写真2参照)が写っている。


この顕彰碑の後ろ側の「まぶ」(写真3参照)の入口がある。


碑文、説明板(写真4・5参照)があるが、碑文の下1/3位が読み辛いので説明文のみ転載する。「文政十二年(1829年)小田郷惣庄屋となった三村章太郎により、この水利事業が行われた。
このまぶ(暗渠)の完成により外平山(横島山)以南の干拓地域で水稲栽培が可能となり、以後の横島の農業が著しく発展した。
横島の農業発展に大きな功績を残した三村章太郎の名と史跡は永く後世に引き継いでいくべきであろう。」とある。


まぶ(暗渠)の上流はどこからだろうと水路を辿ると、暗渠(写真6参照)が道路を横断して現在の水路に繋がっているようである。


まぶ(暗渠)の下流はどこに出口(写真7・8参照)があるだろうかと探すと、50m程下流の道の左側にあった。その護岸の上に祠があり、守護神と思うが祀られている。


更に下流・南側にいくと、一昨日の写真12に繋がる水路(写真9参照)がある。
どうしてこのまぶ(暗渠)が必要だったかと考えるに、現在は干拓地の方に頑丈な樋門が造られているが、当時とすれば「石塘」に影響の与えない流路を確保するために、横島山の岩盤を刳り貫く工事を行ったと推測する。


直ぐ近くに熊野宮(写真10参照)が崖上に鎮座する。鳥居前で一礼して、ここを折り返し点として帰途に就く。


17時前に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)34km→横島町まぶ27km→熊本(自宅)
総所要時間6時間(実5時間) 総計53km 走行累計54,079km

寺田井樋の記念碑
2020/5/1(金) 晴

天候は晴れ、気温26°夏日になった。
25°を越えると自転車は暑いが、それでも免疫力向上のための体力強化と、もっともらしい理屈をつけて今日も午後13時からポタリングに出る。
さて、玉名市裏川に菖蒲を見に行ったのは、こんな暑い日だったような気がして、開花時期を確認しないまま出かける。

途中、玉名市向津留の菊池川堤防道路沿いに小公園(写真1参照)がある。


寺田井樋の記念碑の説明板(写真2参照)がある。
「伊倉塘下(現在の千田から片諏訪にかけての水田地帯)には、木葉川を堰止め水を入れていたが、旱ばつ時には、溜まり水を桶で昼夜を問わず汲み入れなければならなかった。
惣庄屋小田次左衛門・茂助父子は、農民の難苦を憂い、高瀬川(現在の菊池川)の水を木葉川に入れようと、樋を据え井手を通すことに寝食を忘れ取り組み、宝暦十四年(1864年)完成させ、六百町の用水を確保できた。
さらに、文政十二年(1829)には、矢部から移ってきた惣庄屋三村章太郎が、田地より低い用水を汲み上げるために、農民が日夜水車を回す苦労を見かねて、土地の高低を日々測量し、堰を造り、樋を改良するなど努力した甲斐あって、水車を使わずに潤沢な用水が横島新地まで確保された。
この碑は彼らの遺業をたたえ、当時の苦労を後々忘れないようにと建てられた。」とある。


その寺田井樋の一部(写真3参照)、左側に菊池川が流れている。


寺田井樋記念碑を後にして、高瀬眼鏡橋に移動する。


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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