熊本から気ままに山と自転車のブログ

台古墳・山崎古墳

山崎古墳
2018/1/14(日) 曇

今日の予想最高気温は9°、ここのところ寒い日に比べると温かい。
先日探し出せなかった菊池市七城町の山崎古墳を探してポタリングに出る。
正光寺城跡を後にして、国道325を渡り台台地の麓を東に走る。
水次集落内で菊池18外城のひとつ「神尾城跡」の標識を見て、台地に上がるが見つからない。
そのまま東に道を辿り、道の右側に「山崎古墳」の標識(写真1参照)を見る。


説明板(写真2参照)では、
「山崎古墳 所在地 七城町大字山崎字屋敷143
山崎古墳には三基の石棺があります。一号石棺(舟形石棺)、二号石棺(箱式石棺)は昭和七年(1932年)に発見され、約60cmの間隔で並んで出土しました。
同年九月、詳細な調査が行われ、一号石棺から人骨一体と鉄鏃八体、二号石棺から人骨二体が出ました。石棺の刳り貫きは非常に丁寧に作られ、朱塗りを完全に施されていました。
三号石棺(家形石棺)の発見は、一・二石棺より古く一・二石棺の南西約20mの所から出土しました。出土品は不明で、棺蓋部分二片と棺身は長さ143cm、幅75cmで、石材はいずれも阿蘇溶結凝灰岩であること等がわかりました。
また年代は箱式石棺が最も古く、船形石棺は五世紀末、家形石棺は六世紀初期のものとされています。
この古墳のように箱式石棺と船形石棺が並列し、その近くに家形石棺が位置するということは、石棺様式の編年序を示すもので同一社会集団の三世代の墳墓であったと考えられます。」とある。


一・二号石棺には屋根が架けてあるが、三号石棺は露天になっている(写真3参照)


一・二号石棺蓋はピンク色をしている。馬門石か?
一号石棺は、棺身、蓋とも縄掛け突起が見える(写真4参照)


南西方向から一・二号石棺(写真5参照)


西北方向から石棺全景(写真6参照)
山崎古墳の場所:(マップファン地図)


神尾城跡は、後日探訪しようと思う。
坂を下り、道の駅「メロンドーム」で昼食をとり、七城町公民館に寄ってから帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)30km→山崎古墳29km→熊本(自宅) 所要時間6時間(実5時間) 総計59km 走行累計23,113km


台古墳
2017/10/8(日) 晴

今日は、菊池市七城町に所用を目的に出かけるが、それだけではつまらないので七城町の史跡探訪を兼ねてポタリングに出る。
出発は9時半、熊鹿ロードを北上し、植木町伊知坊から県道53に右折する。
目的地は、県道53を直進すればよいのだが、菊池十八外城の一部、打越愛染明王堂・打越城跡、馬渡城跡、正光寺城跡、台(うてな)城跡、山崎古墳を予定していた。
まずは、打越愛染明王・打越城跡、一本道間違えてパス。馬渡城跡は、標識は見つけたが正確な場所が分からずここもパス。
加恵地区には入ったが正光寺城跡が分からずここもパス。
国道325に出て交差点を渡ると、台城跡の標識を見る。
その指し示す方向に進むと熊野座神社があった。
その左横手から台地に上がる道が続いているようなので辿ると、台城跡の標識(写真1参照)があった。


台地の縁の道を辿ると、台城址(菊池十八外城)の説明板がある塚(写真2参照)を見る。


説明板(写真3参照)では、「打越城と対峙して、中間の馬渡、正光寺、増永の3城と連携して・・・」とあり、いつかは訪れてみたいと思う。
後段の「九州探題今川了俊」が陣を敷いた所は、向いの花房台の亀尾城である。


塚頂(写真4参照)には、「台城址」の石柱と三角点がある。
古墳であるとの標識はないが、この形状は間違いなく古墳であろう。


台城跡を後にして、台地の縁を、山崎古墳を探して東進するが辿りつけなかった。
その後は、道の駅メロンドームで昼食とし、午後から所用のために七城公民館を経由して帰宅する。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)28km→台城跡27km→熊本(自宅) 所要時間8.5時間(実4時間) 総計55km 走行累計22,305km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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