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熊本から気ままに山と自転車のブログ

姫井乙姫神社・姫井橋・岩本巻天神の椋の木

姫井乙姫神社・姫井橋
2018/1/21(日) 晴

「大寒」1月20日に、今年の「JA春の植木まつり」が始った。
熊本の春は「植木市」から始まると言われ、季節の風物として一度は行きたい所。
しかし、植木市だけでは物足りないので、合志川流域を走り、上流の菊池市姫井乙姫神社を訪ねてみようとポタリングに出る。
例によって熊鹿ロードを北へ走り、植木北中学校から右折して合志川沿いに東へ走る。
道に任せて上流を目指すと、塩浸川沿いを遡っている。
塩浸川を辿れば竹迫に行くが、竹迫は中世までのこの地域の中心地。
中世までの土木技術では合志川を制御するのは難しく、流量の少なく制御し易い塩浸川流域の開発が先行したのではないか。そのために道も塩浸川沿いに延びたと考えた。
国道387に出て進路を修正して台地を越えて合志川を渡る。
道の駅「養生市場」で弁当を買って、孔子公園の陽だまりで弁当を開く。
昼食後は、合志川堤防道路をひたすら上流を目指す。国道325を過ぎ、山が近くなる。
岩本地区を通ると、大木(写真1参照)が見えた。


説明板(写真2参照)によると、「岩本巻天神の椋の木」といい、菊池市の指定文化財のご神木ようだ。
毎年12月15日には、神楽が奉納されているとある。


幹回り6.5mにもなるが幹内は空洞化している(写真3参照)。


県道329が合志川右岸から左岸に渡る所に、架橋から80年以上を過ぎた鉄筋コンクリート製の橋(写真4参照)がある。


説明板(写真5参照)では、「大正14年に架橋されたもので、・・・架橋技術はもちろんのこと『国土の歴史的景観に寄与している』菊池市で初めての国登録有形文化財となった・・・貴重な財産です」とある。


もう一つの碑文(写真6参照)には、「鉄筋コンクリート下路アーチ橋で・・・我が国唯一・・・現存する中で最も古く・・・」とある。


橋を渡り細い道を右折すると、左手に乙姫神社鳥居(写真7参照)が見えた。
乙姫神社は県内に多くはない。
阿蘇市と去年訪れた熊本市上南部乙姫神社くらいか。


拝殿(写真8参照)には、沢山の額が掛けてあるが由緒書はない。


境内を見ると「菊池遺産・乙姫神社の鯰様」の説明板(写真9参照)がある。


その傍に大鯰とそれに抱き着くお姫様の石像(写真10参照)がある。
神殿の扉には子供の命名紙が沢山貼ってある。乙姫様と鯰様信仰の賜物思う里人の心情の証か。
肥後には、阿蘇古族の鯰に纏わる昔話があちこちにある。
ブログ「天神地祇。」の「鯰信仰。」(http://aburabaku.blog.jp/archives/cat_1145657.html)の記事によると、鯰をトーテムとする古族は、呉の太伯に繋がるという。
肥前の「淀姫神社」「與止日女神社」も鯰を眷族(神使)とするとある。
またある本(古代は生きている)では、鯰信仰の源流は黄河の源流のチベットにあり、それは黄河を下り中国東北部、、朝鮮半島を経由し日本についた。紀元前後頃の漢書に日本人のことを「東鯷人」とあるが、鯷は鯰のことであり弥生前期の日本人が鯰信仰と関係あるのではないか、としている。


姫井乙姫神社を後にして帰途に就くが、帰路は集落のなかを通る。
すると、御堂があり白い看板(写真11参照)が見えたので、立ち寄る。


中世の「土塁」だとある(写真12参照)。
私の生まれた里も空堀に囲まれていた。


その後は道を迷い、どこを走っているのか頼るはお日様のみの状態になった。
見覚えのある風景に、安堵したのはヤンボシ塚古墳(写真13参照)だった。


国道387に出て、JA春の植木まつり会場まで走る。
昨年の植木まつりは平日行ったので人出はそれほど多くはなかったが、今日の人出は多かった。
知り合いの出店者に挨拶して帰途に就く。

今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)40km→菊池市旭志弁利乙姫神社31km→熊本(自宅) 所要時間6時間(実5時間) 総計71km 走行累計23,184km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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