高島船着場・正光寺城跡
2018/1/14(日) 曇
今日の予想最高気温は9°、ここのところ寒い日に比べると温かい。
先日探し出せなかった菊池市七城町の山崎古墳を探してポタリングに出る。
菊池市七城町に入り、菊池川を渡って行ったのは「高島船着場跡」(写真1参照)。
説明板では、「鉄道も自動車もなく、道も狭かった昔、菊池川の舟運は菊池地方の経済の大動脈でした。中世紀の頃は、菊池氏も川を利用して大陸の国々と交易しました。菊池の物資も文化も舟で運ばれ、舟着場は人馬で賑わい、物産の集散地として繁盛しました。高島舟着場は大正初期まで銀行の支店や、白壁の倉庫や二階建ての旅館や食堂が立並び、「米」、「木材」、「大豆」、「菜種」等が積出され、「塩」や「海産物」「石灰」「茶碗」等が陸上げされました。船は「川平田」と言う舟底の平らな帆船(9m×1.8m)で米四〇俵を運びました。肥後藩から大阪堂島米市場に送られる米四〇万俵の半分は高瀬港から積出されました。木材は昭和の初めまで筏に組み高瀬へ運んでいました(筏の一艘は馬車五台分)七城町には「宮園」「甲佐町」「加恵」「西郷」「永島」「橋田」にも舟着場がありました。大正二年菊池軌道が開通し道路も良くなり 菊池川舟運はなくなりました。現在は川と家並みは高い堤防で遮られ舟つなぎの大榎も切られ、復元された『俵ころがし』のみに往時が偲ばれます」とある。
復元された「俵ころがし」か?(写真2参照)
「西郷どん」のご先祖の地はここから2km程の所で、もう一度行きたい所だが先を急ぐので今日はパスする。
次に行った所は、菊池18外城のひとつ「正光寺城跡」(写真3参照)。
県道から加恵地区に入る道の左側にある。「城跡」というから微高地かと思いきや、用水路の端の窪地に板碑のみが移設してある。
説明板(写真4参照)では「・・・別名加恵城・・・加恵三寺と呼ばれる正光寺、貝石寺、正元寺があったとされ、その一つが城名となっています。また、加恵三社(諏訪宮、櫛田宮、須賀神社)も菊池市二代経隆により勧請・・・昭和40年代の土地改良事業により現在地に移転・・・」とある。
八幡宮が多い地域にあって、八幡神より古い神々を祀っていることに興味を魅かれる。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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