川尻法性寺・富合町廻江
2024/10/27(日)曇
最高気温29°と蒸し暑い夏日となった。午後14時からポタリングに出る。新しいテーマとして、加藤清正公の足跡や加藤神社探訪を予定する。今日の目的地は、事前準備も不十分のまま何となく熊本市南区富合町廻江(まいのえ)の「加藤清正公関連遺跡」とする。
熊鹿ロードを南進し、新幹線側道~白川左岸沿い~新幹線側道と走る。川尻小学校前を通り、川尻蔵前通りに通じる道路沿いに、山門の扉に葵の御紋がある法性寺(写真1参照)に立ち寄る。
由緒書(写真2参照)には、「熊本市南区唯一の浄土宗寺院。当初筑後善導寺(浄土宗大本山)の末寺。開基は一説に弘安二年。天正年間に信誉上人によって再興。西南戦争の折、病院の役割を果たす。近年、二十五世隆寿上人のより墓地の整備・本堂の再建。また、二十六世隆浄上人により平成二十八年の熊本大地震で被災したご本尊・本堂・山門修復と諸堂の解体と建立が行われました。本尊は阿弥陀如来(平安時代中・後期の作)で、多くの結縁の人々が参拝し、心のよりどころとなっています。境内には焔魔堂(等身大の閻魔様と鬼が祀ってある)・地蔵堂があり、町内の皆様により祭りも行われております。また、当山では年間五回の大法要(春秋彼岸会・施餓鬼会。御忌会)を厳修しております。御忌(ひょき)とは天皇から賜った宗祖のご命日の呼び名で、浄土宗だけの誉であります。浄土宗は徳川家康によって深く帰依されましたので葵のご紋を大切にしており、また、当山は細川氏からも篤く帰依された名刹であります。」とある。
由緒書(写真3参照)には、「閻魔様は八大地獄を統括しておられる仏様で本地は阿弥陀如来様です。僧都の往生要集の中に地獄の様子が解かれており、これが一般に知られている地獄です。現世で善行の方は、三尊様が、命尽きた時、直通で極楽に案内され、悪行のかぎりを尽くした方は命尽きた時、火の車が、迎えに来て直通で地獄え連れて行くと言われています。どちっとも、つかぬ人が、初七日に、閻魔の庁で、裁判があります。心あたりりの方はご用心下さい。当山の閻魔様とお堂の開基は定かではないが当町内の古老の噺によると、大正三年八月当町内の有志により、当山に奉寄進されたものです。このたび開基七十五年祭に当たり当町内の区長様や有志の御好意により浄財を雨降らし再建されたものです。合掌」とある。
法性寺を後にして、川尻船着場の全景(写真4参照)を観る。
当初目的の廻江地区(写真5・6・7参照)に渡着する。集落の中を通り、浜戸川堤防上から眺望する。西川橋まで来て引き返すが、トンと加藤清正公関連遺跡らしきものは見えない。帰宅してからインターネットで検索したところ、熊本市のホームパージに詳しい情報があったので再度探索したいと思う。
17時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)17km→富合町西川橋17km→熊本(自宅)
総所要時間3時間(実2.5時間) 総計34km 走行累計60,410km