2020/3/21(土) 晴
今日の天候は快晴、最高気温予想21°と桜が開花しそうな陽気に誘われ、午前10時ポタリングに出る。
目的地は、山鹿市御宇田の平重盛の墓とする。
往路は、山鹿市来民までは自転車道熊鹿ロードを走る。
熊鹿ロードを、熊本市宮原から山鹿市に入った付近から菜の花ロード(写真1参照)となる。
国道325を横断する辺りで正午になる。
昼食は、陽気が良いので神社境内でのんびりと食べようと弁当店に立ち寄る。
御宇田地区は、後背地に丘陵があり住宅地はその裾野に広がる。
御宇田五山中正寺跡に立ち寄り、道を東方向に辿り、その次の路地に鎮座するのは熊野座神社(写真3参照)
その次の路地に鎮座するのが成竹厳島神社(写真4参照)
重盛の墓は、厳島神社の境内であるのではないかと思ってきたが見当違いだった。
更に東に進んだ所に鎮座するのが、御宇田神社(写真5参照)
境内左横に山桜(写真6参照)が咲いている。
御宇田神社拝殿(写真7参照)は、銅板吹きの立派な建物である。
御宇田神宮由緒書(写真8参照)には、「仁和二年(886年)に伊勢・熊野・八幡三社を勧請す。・・・仁治元年(1240年)阿蘇一の宮を合祀し・・・御宇田大明神と号す。或説に曰く・・・」とある。
境内摂社に「黒男神社」(写真9参照)が鎮座する。
黒男神とは・・・帰宅してWebで調べると、武内宿禰とある。
境内東側に踏み分け道があるので、登ってみると金刀比羅宮(写真10参照)が鎮座する。
この社の後ろ側が開けていたので登ってみると、「鹿本グラウンド」だったので、広いスペースを独り占めして弁当を開く。
金刀比羅宮は、すぐ近くの不動岩の麓にもある。地域の繋がりを思う。
昼食後は、道を西に辿り、御宇田五山実西寺跡立ち寄り、更に西方向に進む。「平重盛の墓→」の標識に従って進むと、「平重盛の墓P」の標識がある。
標識に従って坂道を上がると、個人の屋敷地だった。
が、ひと声かけて奥に進むと、その奥の林のなかに「平重盛の墓(供養塔)」(写真12参照)がある。
この墓について、山鹿市商工会パンフレットには「平安時代の末期筑前守平家定の子貞能は戦に敗れ御宇田氏を頼って保護を受け平重盛の供養塔を建て・・・」とある。
Web上では、貞能は肥後守に任じられ菊池氏と戦う。平家滅亡後肥後国大橋に蟄居する。子一妙丸(後の貞経)は肥後で生れる等々あるので、肥後国との関係性は深いようだが、確かなことは分からない。
目的地には到達したので来民中町を経由して帰路を辿ると、県道198の交差点付近に初めて見る神名の神社(写真13参照)があった。
金凝神とは・・・帰宅してWebで調べると、第二代天皇綏靖天皇とある。
今日は、新しく二柱の神名を知った。
境内に鮮やかな桃色のサクラ?(写真14参照)が咲いていた。
熊鹿ロードを経由して帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)28km→平重盛の墓26km→熊本(自宅)
所要時間6.5時間(実5.5時間) 総計54km 走行累計32,099km
御宇田五山中正寺跡・実西寺跡・牛塚
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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