2020/01/13(月) 曇/晴
今日の降水確率0%に、風は冷たいが降雨の心配は無いので安心してポタリングに出る。
目的地は、江田船山古墳出土物が展示してあるという和水町歴史民俗資料館とする。
熊鹿ロードを北へ走り、県道3から江田交差点で県道16に左折500m程走ると道の駅「菊水ロマン館」がある。
資料館は古墳公園北東の隅と記憶してきたので、ロマン館の横を奥に行き、更に橋を渡り高台に上ると、「若園貝塚」がある「縄文のむら」(写真1参照)に着いた。
「縄文のむら」を奥に進むと、ほぼ円形の窪みの竪穴住居跡(写真2参照)がある。
2千年以上も前の遺跡で、風化も考えなければならないのでコンクリートで固めるのも致し方無い処置ではあると思うが、現実味が乏しい遺構のように思う。
説明盤(写真3参照)があり、縄文時代は1万年前から2千3百年前までとしているが、ウィキペディアでは16,000年±100年前から3,000年前としている。
その差は、公園整備時から今日までの古代史研究の進展の差と考える。
縄文住居跡から菊池川縁へ下ると貝塚跡広場(写真4参照)がある。
貝塚を切り取った展示(写真5参照)がある。
貝塚(写真6参照)上面が、現在の海抜11mとある。
ウィキペディアでは縄文海進時より5m低下しているとしているので、これを基準にすれば、海抜5~6mの所に貝塚はあったことになる。
有明海は、干満の差が大きいので満潮時は直下まで潮が来たとも思える。
説明盤(写真7参照)では、汽水域で生息する貝種が多いので、この辺りが河口域であったろうことが推測される。
若園大地から江田川に架る吊橋を渡り清原台地の江田船山古墳(写真8参照)に移動する。
塚の石室に入ろうとしている人が見えた。以前は鍵がかかっていたように思うが、入れるようなので私も内部を観る。
塚への進入路は、周溝を廻り前方部側(写真9参照)にある。
造り出し部の前に説明盤(写真10参照)がある。
「昭和60年に発掘調査が行われ・・・墳丘部に造り出し部があることが分かり・・・そばから遺物がまとまって出土し・・・儀式の場として使われたと考えられ・・・家形石棺の入り口はこの造り出しに向いています。」とある。
石室内部は、照明が設置してあり石棺(写真11参照)が明瞭に見える。
Web上の古い写真と比較すると石棺入り口上梁部のずれ(写真12参照)は、平成28年の熊本地震による被災と思う。
石棺側壁は、黒色の土嚢で抑えられている。長い間、土の中にあって良好な状態に保たれてきたことを思えば、適切な保存方法と思う。
石棺蓋(写真13参照)には、縄かけ突起がある。
黄色のシミは、苔か、ボンドか?
この後資料館に移動するが、本日はここまでとし続きは後日としたい。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→江田船山古墳公園27km→熊本(自宅)
所要時間6時間(実4時間) 総計54km 走行累計30,931km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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