2020/11/24(火) 曇/晴
最高気温17°天候は曇/晴、午前10時半から下田のイチョウ、宇城市指定史跡曲野城跡、前田の山伏塚を目的にポタリングに出る。
加勢川中ノ瀬橋を渡ると左側に鳥居が見える。鯰三神社(写真1参照)がある。
加勢川と緑川の間の村を「鯰村」と云う。御船神社も鯰をご祭神としている。阿蘇・熊本地域には、鯰を祀っている神社は多い。
神門石段は、馬門石(写真2参照)が使われていた。
拝殿(写真3参照)で一礼して、由緒書のようなものは無いかと見たが無いようだ。
次の目的地の宇城市指定史跡曲野城跡(写真4参照)を探訪する。
地図上で覚えていった辺りを探す。農作業中の人にお訊ねしたら、「自分の屋敷で、地蔵さんが祀ってある」とのことである。敷地に入ることの了解を頂き、現地に着く。
土手を上がると畑だった。ここが本丸跡(写真5参照)らしい。
畑の西の端にお地蔵様(写真6参照)が鎮座する。
お地蔵さまは、祠の中にありアクリルのパネルの蓋がしてある。お地蔵様の首の辺りに修復の跡があり、いらずら防止のためらしい。
説明板にあるように、南側の竹山に空堀跡(写真7参照)が見える。
説明板(写真8参照)は、「曲野は勾野ともいい、阿蘇家の社領で弘治永禄の頃(1555~1569)家臣鈎野民部小輔が在城したと伝える。又一説には辻姫という勇婦が城主であったとも伝えられる・・・」とある。
曲野城跡を後にして、前田の「山伏塚」を探してウロウロしていると、寄田神社(写真9参照)があった。
少し小さめの社(写真10参照)ではあるが、広い境内である。
境内の一角に「望郷子守唄の碑」(写真11参照)がある。
熊本弁で書いてあるので、分かり辛い部分もあるが、五木の子守歌の旋律ように歌うのだろうか。
説明板(写真12参照)は、「松橋町名誉町人の故高村逸枝氏の作・・・」と云う。
この後も「山伏塚」を探すが手掛かりがなく、14時半を過ぎたので止む無く帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)30km→寄田神社26km→熊本(自宅)
所要時間5.5時間(実4.5時間) 総計56km 走行累計36,661km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
最新の画像もっと見る
最近の「肥後国の中世史跡・文化財」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事