2021/9/10(金) 晴/曇
今日の最高気温予報32°晴天ではあるが午後から曇り予報に、気温が高く成り過ぎないことを期待して午前9時からポタリングに出る。
目的地を熊本市戸島町の日向六地蔵と、小山町諏訪神社の正平塔とする。
小山諏訪神社の所在地は分かっているが、日向六地蔵の所在地は分かっていないの取敢えず戸島神社鳥居に向かう。
戸島神社鳥居右脇に、五輪残欠(写真1参照)がある。
宝塔身(写真2参照)には、四方仏が彫ってある。
説明文(写真3参照)には、「県道戸島神社入口鳥居右角に五輪塔残欠を集め塔一基を組み立ててある。風化が著しく表面は荒れて趣旨や刻銘などは判明しない。地、水、火、風、空の五輪と宝塔身を組み合わせ、高さ百三十三㎝余りとその下に安山岩の角石を台にしてある。年代も金成り古いと思われるが、宝塔身には四方仏を刻ってある。」とある。
戸島町日向の旧道を東側に辿ると猿田彦大明神の石碑がある。その先には観音堂があり、またその先には「経塚跡」の標柱がある。が、六地蔵は分からないので、集落西側に向う。
県道がエスカーブしている所に、「札の辻の阿弥陀堂と放牛地蔵」(写真4参照)の標柱があった。「札の辻」の地名は、藩政時代の高札場だったことによる。
放牛石仏(地蔵)(写真5参照)は、95体目とある。
六地蔵探索を諦めて、小山諏訪神社(写真6参照)に移動する。
鳥居脇の標柱に「承平五年(935年)、平将門、藤原純友追討のため創建された」というようなことが書かれていた。
諏訪神社拝殿(写真7参照)
拝殿左側に霜宮社(写真8参照)がある。
鳥居脇の標柱に「阿蘇神社より勧請」とある。この地区が阿蘇氏の影響下になったことや、内陸で霜害に苦しんだことが推測される。
拝殿右側に正平塔(写真9参照)がある。
正面の彫刻(写真10参照)は竜。
左側面の彫刻(写真11参照)は、左下隅が人物に見えたのだが・・・?右側面・裏面の写真は撮るのを忘れた。
説明文(写真12参照)には、「南北朝時代の地方色豊かな塔で凝灰岩で作られた灯籠形にくまれています。竿石の一面に作者名と正平一二年(1357)の紀年銘があり、他の三面には昇天の竜や仙人の姿などが刻まれています。作者は大工藤原助次ですがその経歴は明らかでありません。昭和四五年熊本市の文化財に指定されています。同種のものが大川、荒尾、大牟田、南関にもあります。」とある。
手水舎の前に大きな樟(写真13参照)がある。
ここを最後にして、正午前に帰途に就く。
13時頃帰宅して、昼食を取っていると雨が降ってきた。早目の帰宅が幸いした。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)20km→小山諏訪神社16km→熊本(自宅)
所要時間4時間(実3.5時間) 総計36km 走行累計42,742km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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