2021/6/1(火) 晴
今日の天候は晴れ、最高気温予報33°。目的地は、大津町森駅記念碑と玉岡城跡とし、午前9時過ぎポタリングに出発する。
天候は良いが、今年最高の気温予報に二の足を踏む。が、6~10月と夏は長いので暑さに慣れなければ・・・但し、早目に帰宅し昼寝でもしようと、蛮勇を奮い出かける。
心地よく風を感じたのは初めの30分程で、帰り道の風は生暖かく無理をすれば熱中症になる危険を感じた。なので、ゆっくりのんびり走らせ帰った。
大津町指定文化財(建造物)森駅記念碑(写真1参照)は、大津町森地区中心地の交差点近くにあった。説明文は脱色しており、ほぼ読めない。
記念碑は五角形で、謂書き(写真2参照)が漢文で刻んである。
「森駅は、二里木(熊本市立田町)にて大津街道と分岐、大津町陣内を経由して、比丘尼谷(大津町瀬田)にて街道に再合流する“陣内往還”の全線開通(明治17年)により、当地森に置かれた駅(宿場・馬繋ぎ場)です。往還の開通後、立野筋の県道指定を受けて人の往来・物の輸送はひっきりなしで、この付近は大変賑わったと伝えられています。この碑は、駅の隆盛を記念して明治26年4月に地区有志により建てられたものです。
碑は高約4メートル、本体は高160センチメートル、径55センチメートルの五角柱、中央に“森驛紀念碑”と太く刻み、両側に陣内往還開通の経緯とその後の森駅の賑いを語っています。 悲しくも、時の移り変わりには抗し難く、県道論争に伴う交通の変化とともに当地の繁栄は昔日のこととなり、駅も衰微して、この碑も長く人々から忘れられました。しかし森区有志の復元の思い止み難く、平成5年11月この碑を掘り出し、原位置の付近にその永奠の地を求めました。碑の再建は、往時の森駅の隆盛を再び人心に留め、当地域の栄えある歴史を永く後世に伝えるものです。」(大津町ホームページより)
森駅記念碑を折り返し点として、県道を引き返していると「六地蔵前」と云うバス停(写真3参照)があった。
道の反対側に「上陣内石幢六地蔵(ろくんぞ)」(写真4参照)があった。
「石幢とは六地蔵の下側部分の竿石のことで、銘文によると文明年間(室町後期)からあった六地蔵の残りです。それが周辺の小字名であるロクンゾの由来となっており、この地を通る陣内の下道は古いころから栄えていたことが伺われます。」(大津町ホームページより)
上陣内玉岡城跡(写真5参照)に寄り道する。中世の山城跡である。
崖地の中腹に「若宮神社」(写真6参照)がある。
説明文(写真7・8・9参照)は、三項目からなっており長文になるので転載は省略する。
13時帰途に就く。15時帰宅、今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)31km→森駅記念碑32km→熊本(自宅)
所要時間6時間(実5時間) 総計63km 走行累計41,104km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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