2021/5/30(日) 晴
今日の天候は晴れ、午後13時出発。目的地を4時間程度で往復できる所として合志市指定文化財の竹迫厳照寺板碑群・石幢と、竹迫橋(石橋)を選択する。
厳照寺(写真1参照)は、竹迫観音堂の近くで何度となく来ており、スムーズに到着する。
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お目当ては板碑群と六地蔵石幢(写真2参照)。
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六地蔵石幢側からの景観(写真3参照)。
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一番大きな板碑(写真4参照)には、梵字と仏像2体が刻まれている。
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説明板(写真5参照)には、「厳照寺に残る板碑五基と石幢一基は、先代の住職が境内から拾い集めたとされ原位置は不明です。
五基の板碑の内、銘文が残っている四基は全て生前に浄土への成仏を願って建立した逆修碑です。一番古い年記銘文が残るのは、大永五年(1525)の「阿弥陀三尊梵字板碑」で、百二十九名の名が確認できます。法名の中に実際の名前も見ることができ、それは竹迫の住民層と考えられます。他に年記銘文がある板碑には、享禄三年(1530)銘の「卍阿弥陀如来坐像線刻板碑」があり、銘が無い板碑も形態や石質などの特徴からほぼ同時代に建立されたものと考えられます。
石幢には、六角形の各面に六地蔵が線刻され、銘文はありませんが形態などの特徴から十五世紀後半に建立されたと考えられます。
いずれも、中世における竹迫町の様子が窺える史料であり、城主やその家臣団、住民層などの関係を考える上で貴重な文化財です。」とある。
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厳照寺を後にして、うろ覚えの縄文遺跡を探して台地上を巡るが分からない。
墓地の隅に「福島県三春の滝桜」(写真6参照)が植えられているのを見る。
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竹迫横町の鶴川の橋下を覗き見していると、地元の人に「この橋は昔石橋だった。その石材の一部(写真7参照)がこの石である。下の川は、竹迫城の外堀だった。」とのことだった。
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もう一か所石橋があるかも?と教えて頂いた橋(写真8参照)が、県道138交差点下にあるのが当初目的とした竹迫橋だった。
石橋の裏側が見れなかった。水が枯れた時期に再度訪れることにしよう。
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15時過ぎ帰途に就く。17時帰宅、今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)22km→竹迫厳照寺22km→熊本(自宅)
所要時間4時間(実3.5時間) 総計44km 走行累計41,029km