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熊本から気ままに山と自転車のブログ

方保田東原遺跡

山鹿市大道地蔵尊・方保田東原遺跡
2017/6/16(金) 晴
今日も暑いが、今週3回目のポタリングに出る。
14時出発。今日は北方向、山鹿市方保田(かとうだ)の古墳を目的地とする。
熊鹿ロードを北へ走り、分田休憩地から菊池川堤防、県道301から山鹿市街地方向を目指す。
大道地区公民館から県道を逸れ斜め西方向の道を進むと、正面に4体の地蔵尊(写真1参照)があった。


右端は不動明王だが、私の知識では後の3体の詳細は分からない。
唯、左から2番目の像には、台座(写真2参照)に文字が刻んであり、興味深い。
「天保十一歳(1840年)」「佐男弟○○」?「庚子二月建立」の銘がある。
取分け「佐男弟○○」の文字が気にかかる。
天保年間の碑文なので同次元で考えることはできないと思うが、古代であれば魏志倭人伝の卑弥呼の一説に「有男弟佐治国」とある。また「男弟王=継体大王」である。
神名か菩薩名かも分からないが、解読してい頂ければ有難いと思う。


「遺跡ウォーカー」によれば、この一角のどこかに「方保田古墳」があることになっているので南側に廻ったり北側に廻ってみるが、住宅地ということもありジロジロ覗きこむわけにもいかず発見できない。
御堂や石仏があるのは、古墳の主の供養碑と思う。
同じく「遺跡ウォーカー」によれば、大道小学校南側に「古城古墳」があることになっているが古墳は発見できず、手掛かりはないかと「山鹿市出土文化財管理センター」(写真3参照)に行ってみる。
生憎閉館準備中だったので、大道小学校に石棺があるとの情報だけを聞いて、再度大道小学校に戻るが発見できずに引き返す。(方保田古墳石室のことだったのか)


出土文化財管理センターは、方保田東原遺跡史跡公園(写真4参照)にある。
発掘調査した後は埋め戻され、広場として整備されている。
説明板では、確認された範囲内のことを間違いのない言葉で説明してあるが、一説では、吉野ヶ里遺跡をも上回る可能性の遺跡群ではないかとも言われていて、全容が解明されるのを期待する。
別の説明板では、方保田川と菊池川に挟まれた台地を幅8~9mの堀で仕切った大環濠集落ではないかと言っている。


沿線では田植えの準備でトラクターが活躍しているが、アマサギの集団の他にカラスの集団がついて周るトラクターも見受けた。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→山鹿市出土物管理センター25km→熊本(自宅)
所要時間4.5時間(実4時間) 総計52km 走行累計21,116km


方保田東原遺跡
2014/9/10(水) 晴

天候は晴、気温予報32度。走行予定距離は50km以上。
自宅を10時半出発。熊鹿ロードを北へ走る。
当初は、熊鹿ロードを終点まで走り、菊池川沿いを玉名市まで下り、新幹線新玉名駅で田んぼアートを見て、玉名市博物館に立ち寄り、玉東町経由で帰宅、と想定したが山鹿市分田休憩所辺りで12時半。このペースでは無理が生じると判断し、方保田(かとうだ)の山鹿市出土文化財管理センターを訪問することにする。
方保田文化財管理センターは、山鹿市博物館・オブサン・チブサン見学以来の見学待望の施設である。
文化財管理センターでは、国指定史跡方保田遺跡(写真3・4参照)は、地区全体が吉野ヶ里に匹敵する壮大な遺跡集中地帯で現在公有化を進めている」との説明であった。

整理中、保存中の膨大な資料を見学させて頂いた。
親切丁寧な説明と対応に、贅沢な時間を過ごさせていただいたことを、重ねて感謝申し上げたい。
帰ってから地図で知ったが、史跡公園があるようだ。


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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