2022/8/6(土) 晴/曇
今日の最高気温予報は33°午前・午後とも降水確率40%だが、ポタリング予定方向の雨雲予報は雨を回避できそうなので午前9時半からポタリング出る。
主目的地を玉名市冨尾の磨崖仏とし、後は先日の山下古墳碑の「古墳在」の文字確認と、「金栗四三翁の墓」と和水町指定文化財「日平の宝篋印塔」としたが、「日平の宝篋印塔」は探訪できなかった。
ルートは先日と逆回りのコースを選択し、熊鹿ロードから県道31、国道208を通り、玉名市富尾の菅原神社参道に到着する。
参道石段の左側に、崩落した横穴跡と磨崖仏(写真1参照)がある。
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写真1の左側部分が横穴跡(写真2参照)と思う。写真右端部分が横穴飾縁と思われる。左側部分が横穴奥壁で天井はドーム状になっている。
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磨崖仏(写真3参照)は、その横穴の右側に位置する。磨崖仏は腰から下がはっきりしない。風化で損傷したのか、破壊されたか、彫られなかったか?
簡易ではあるが、上屋が架けてあり大事にされている。横穴の被葬者の供養ための仏様か?
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磨崖仏を後にして、山下古墳碑の「古墳在」の文字(写真4参照)を確認のために立ち寄る。
「古墳在」の上は、所在地名を刻んである。「在」の下に一字あって「不知」とある。全文書き起こしてみたいと写真をとって来たが、彫が浅く細いので判読できるほどには写っていなかった。
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山下古墳碑を後にして、「金栗四三翁の墓」(写真5・6参照)に移動する。
古墳とも思える形状の頂に在る。金栗四三翁は、実家は和水町だがここ山部田の池部家と養子縁組して「池部四三」と改名している。
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金栗四三翁の墓を後にして、峠を越えて日平に移動する。
前回のコメント欄に書き込み頂いた「佐藤誠」さんの情報の「日平の宝篋印塔」はこの辺りだろう(写真7参照)と思い、人家が途切れる所まで往復してみたがそれらしいものは見えなかった。個人宅まで踏み込むのは憚られるので、諦めて退散した。
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時間も正午も過ぎ気温も上がってきたので、先日訪れた湧水(写真8参照)で手と顔を洗い暫し涼をとる。生気が甦る。ここを最後にして帰途に就く。
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15時半帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)26km→冨尾磨崖仏35km →熊本(自宅)
所要時間6時間(実5時間) 総計61km 走行累計50,092km