まだ、誰にも知らせていない、誰も知らないこのブログ。
うしし。
誰にも読んでもらえないんじゃ寂しいから、
GW明けにでも、みんなに伝えていこうと思いつつ・・・
ブログ始めたよ〜って言われて、
見に行って、
『ブログ始めました』
って記事だけだと、
わかんないもんね。
ある程度、書いてからみんなに紹介していこうと思ってます。
・・・・
さてさて、昨日のブログ(こちらです)で
かんたんな自己紹介をして、
さて、いよいよ根付職人としての私を!
と、思ったのですが、
まてまてまてまて・・・。
そんな、さらっとアナウンサーやめられる?
根付職人になるってそうとうの覚悟がいると思うんだけど
って、ご意見あると思うんです。
小学校の卒業文集にまで書いた憧れだったアナウンサーの仕事。
大変なこともいっぱいあったけど、
天職だと思っていたし、大好きな仕事でした。
でも、根付職人になった今、その決断に全く後悔はありません。
もちろん、決断に至るまでにはいろいろあって、
結婚もしたし、
アナウンサーとしてあるまじき大きな放送事故も起こしたし、
悩みすぎて体調がおかしくなったり、
人が信用できなくなったり、
ひったくりにあったり、
もちろん、そうなっていった理由は一つじゃなくて、
今思うと、そうなる運命だったんだろうなって言葉でしか
もう一度あのときの自分になっても
そうなるしかなかったんだなって思うんですけど、
それでも、その大きなきっかけというか、
背中を押した一つの出会いがあったんです。
以前、その時のことをかいた記事があります。
小林秀雄さんを学ぶ塾の同人誌に書かせてもらったもので
(こちらで全文読めます)
今日はその後半部、なぜ根付職人になったのかを、
こちらで紹介させてもらいますね。
・・・・・・
「ありがとう。自分のやってきたことが初めて日の目を見たよ。ありがとう、ありがとう」
私の手を握って、涙を流しながら伝えてくれた鈴職人さんの言葉が、私の人生を変えました。
私は当時、NHKのキャスターでした。
『東海の技』という東海地方のものづくりの職人さんを紹介するコーナーを担当していました。
様々な職人さんにお会いし取材をさせていただく中で、職人さんが作り出すものの素晴らしさ、伝統工芸が代々受け継いできている日本人が大切にしている思い、職人さんの生き方や覚悟のようなものに魅了されて、この仕事にどんどんのめり込んでいきます。一方で、取材させていただいた多くの伝統工芸で、後継者がおらず、まもなく失われてしまうという事実もまた知ることとなるのです。
「なんてもったいない。伝統工芸は、資源の少ない日本で世界に誇れる未来への大きな財産、資源なのに」
と、強く強く思い、なんとか後継者が出てこないものか、どうしたらこの伝統工芸を守ることができるのだろうと、放送人として、そして伝統工芸に魅了されたファンとして日々考えるようになっていました。
そんな時、出会ったのが先ほどの職人さんの言葉でした。まだ25歳の社会に出て間もない私に、涙を流してお礼を言ってくれる職人さんの言葉。50年以上今の仕事をしてきて、私が取材させていただいて、今回初めて、親戚の人や近所の人から「素晴らしい仕事をしていたんだね」と、声をかけてもらったんだ、日の目を見たんだと涙ながらに言ってくださる姿に、私もおもわず苦しくなって、一緒に涙を流していました。
「どうして、こんなに仕事一筋で頑張っている職人さんが、50年以上も日の目をみることなく、まだ出会って数回の私に対して涙を流さなければならないんだろう」
と、やるせなく、切なく、悔しかったのです。
職人の抱える問題の一つに、“職人の地位が低い”という点がありました。
私が取材をさせていただいた職人さんの中には、目の前で
「ちゃんと勉強しないとあんな風になっちゃうよ」
と、こちらを向きながら通りすがりの母親が幼い息子に言っている様子を見たことがあるという人。
また、
「弟子入りを希望して来る人は、刑務所を出た人か障害のある人しかいなかった。それらの人がいけないというわけではないけれど、俺たちのやっている仕事はそんなに嫌な仕事なのか? 別に東大を出た人が、職人に憧れて職人になったっていいだろう?」
と、訴える職人。
特にバブルの頃、とてもみじめな思いをしたという職人の声を多く耳にしました。
その背景には、
「多くを語らず、出来上がった製品の素晴らしさで周りを納得させる」
という古くからの日本人の美徳を多くの職人が守っていることがあるような気がします。もはや職人や手づくり・ものづくりが身近でなくなったいま、その手作りの製品の手業の素晴らしさまで、想像出来なくなっている現状がそうさせているのではないでしょうか。
それを解決するためには、誰かが職人として(職人の地位が自分に関係のないメディアなどの第三者ではなく)、
「職人って、ものづくりって、こんなに素晴らしく素敵な仕事なんだ」
と、発信することが必要なのではないかと思ったのです。
その言葉が次世代を担う若者の目に触れたら、長く続いてきた伝統工芸の未来は変わるのではないかと。
誰か、勇気を出してもっと発信する職人が出てきたらいいのに……。
大御所の職人さんが、もっと前にどんどん出てきたらいいのに……。
そんな話を人間国宝などに指定されている職人さんに話しても、共感はしてくれるものの、自分は昔から前に出るのは苦手だから誰かにやってもらってと、動き出す人はいませんでした。誰かじゃなくて、みんなが自分のこととして動かないと!
誰かじゃなくて。。。
そうか、誰かと思っていたのは私だったのか。
何ができるかわからないけれど、私がやればいいのか。
こうして私は、特に尊敬していた根付の師匠のところへ通うようになりました。
最後までお読みいただきありがとうございます。