こんにちは。
雨、雨、雨、垂れ下がる雲。陽が差すとムシムシ〜〜〜♨♨
そんな風景が続く季節、いかがお過ごしでしょうか。
一昨日の夜、今年初エアコン作動で風邪ひきそうになったazurです。
エアコン切ると暑い。付けたら寒い。
どちらかを選べと言われたら、寒い方を選びます。暑いのキライ。
昨日の夜は扇風機で十分でした。
雨は降る前がいちばん蒸せて暑くて、降ると少し和らぎますね。
今回の花画像はいつもより多いので、前置きは短めに。
レースカーテンを買いにいったり
歯医者さんでジレンマに陥ったり
近所のパン屋さん 新装オープンから1年近く経ってやっと行くことができたり
ちょこちょこネタがいくつかありますが、温めておきます。
前置きなどで小出しにしていこうと思っています。
ホント どうでもいい ちょこっとした出来事ばかりなので、忘れちゃうかもしれんけど。
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梅雨入り直前の6/13(月)に実家で撮った花たちです。
歩いた順に。
額紫陽花・隅田の花火は真花が開き、ちょっとブルーに色づいていました。
実家のんは青に傾いていくことが多いですが、ウチのは赤みが入って紫になることが多いです。土の影響でしょうか。
コウホネ。
亡き父が探しに探してようやく獲得した花です。どこで見つけてきたんだろう、、、
ピュアな黄色がとても鮮やかです。
コウホネの葉っぱかな。斑入り葉があった。
でもこっちの鉢には花が咲いてませんでした。
コウホネの隣では、紫陽花・アナベルが揺れています。
お稲荷さんの横に夏椿が咲いていました。
ピンクもあったんだけど、、、ここ数年見てないなぁ。
少女が頬を染めたような初々しいピンクも可愛らしいですが、白、やっぱりいいな。凛として楚々として、貴婦人のよう。
お稲荷さんを挟んで反対側には柿の木があります。
子供の実。
これからの雨を受けて、きっとずんずん大きくなりますね。
山紫陽花は終焉を迎えています。
額紫陽花・ブルースカイ。
くっきりとした青が魅力的です。
真花が開いた花も。
大きな飾り花が華麗です。
名前はわからないけど
飾り花にストライプ模様が入った額紫陽花や、
斑入り葉の額紫陽花も。
六甲の紫陽花(と、私が勝手に呼んでいる)は次々に咲いてくれます。
咲き終わりがまた素敵な色。
ブルーに赤が入って紫(ピンク?)のような色と、ブルーと、グリーンがかった色と
ちょっと色褪せてくすんで、あれこれ混ざって、
ため息出るくらいいい感じ。
アンティークな雰囲気がとても好きです。
上を見上げると
フランコ(スモモ)が色づいていました。
収穫までもうちょっとかな。
夫は目を輝かせて「おっ👀 これ何? 食べられるんちゃうん?」
花より団子か。 ←アンタ(私)が言うか。
「まだちょっと早いな。黒っぽくなってきたらおいしいで」
「ふーん」
今にも伸ばしそうだった手を引っ込めて、夫は不満げにフランコを見上げました。
食べたいか、そうかそうか。
母にお願いすればいただけると思うぞ。
けれど私は知っている。実家だから当然だけど。
庭に生るこの実より、山畑①に生るフランコの方が美味しいことを。
土が違うからか、日当たりの関係か。理由はよくわかりません。同じ木なんですけどねぇ。
貴方は庭のフランコをお腹いっぱい食べるといい。私は山畑①のを待つから。
……と言うと、夫はキーキー怒りました。
「ほな僕も山畑のん待つ (ー_ー)」
けれど私はもうひとつ知っている。実家の山畑だから当たり前ですが。
山畑にはお猿が来ることを。
お猿に食べられて1個も残らないか、早めに収穫してしまうか、どちらかしかない。
早めに収穫するより木成り完熟の方が美味しいと思うから、結局庭のフランコの方が美味しいかもね。
さあどっち?
「どっちでもええわ💢」
夫はプンプン怒って先に屋敷に戻りました。
私もどっちでもいいです。果物類はほとんど食べないので。 ←そもそもの話。
フランコの木の下には
八重咲の柏葉紫陽花の大きな株があり、その隣には小さな山紫陽花たちの鉢が並びます。
赤い縁取りの山紫陽花はこんな感じに変化していました。
縁取りの赤が花びらに溶けて花全体がピンクに染まった……そんなふうに見えます。
同じ種類だと思うけど、こんな紫の縁取りの花も。
ひとつの株からでもいろんな色になったり、咲き始めから花の終わりまで徐々に変化したり、紫陽花はホントに千差万別ですね。
こんな紫陽花も咲いてた。
小さな八重咲きが可愛らしいです。色も好きだな。
この子、ウチにも欲しいなー。
山紫陽花は気難しくてウチには無理(咲かせられん)けど、フツーの紫陽花なら放置でも大丈夫だし、、、 ←イヤお世話せえよ。
挿し木もらおうかな。
銀河の花火と挿し木交換でどうだろう。
まあ、そんなことしなくても母に言えば嬉々として挿し木用意してくれますけど。
ウチにあって実家にない紫陽花は、額紫陽花・銀河の花火(山紫陽花っぽいけど、はっきりとはわかりません)と額紫陽花・城ヶ崎。
実家に挿し木を避難させておいた方がいいんじゃないか。と、ここ数年考えています。枯れてしまう前に。
城ヶ崎は元気いっぱいだからあんまり心配要らないんですけど
銀河の花火はもう風前の灯火な雰囲気、、、今年は2輪咲いてくれたけど。
全然大きくならない。多分日当たり良すぎるんだと思う。 ←ブラックハンドazurだから、まるっきり見当違いかもしれませんが。
葉っぱから見るに山紫陽花系だと思うので、母が言うところの「明るい日陰」というモノが要るんだろうけれど
ウチにはないからなぁ。
枯れてしまったピンクのアナベルのことを想うと、、、
やっぱり挿し木用意しておこう。
写真だって、背景がブロック塀(おまけに雑草だらけ)のウチで撮るより、グリーンの中で写せる実家の方が嬉しい。
余談ですが
何か楽しみを作っておかないと、超(超超……エンドレス)出不精azurはめんどくさくて足もココロも動かない。
実家に行けば花の写真が撮れる。それは、私を動かす大きな要因なのです。
実家のことは、近くに住む妹家族に任せっぱなしです。
父が亡くなってからは農作業手伝いも行かなくなったし。 ←「卒業」と称していますが、完全に自己都合。
継承者(義弟は姓も継いでくれた)なのだから当然かもしれないけれど、こういうことって、法律や書類でスパッと切り分けられるようなものではないと思う。
生前、父がよく言っていた。
「どこに嫁ごうが、どこに住んでようが、お前(私)はずっとF家(実家)の長女。良くも悪くも、ウラ(父は自分のことをそう呼んだ)やお母さんやC(妹)が死んでからも、お前が死んでからも、ずーっと、それは変わらん」
賛否両輪あるでしょうけれど、私は父からそう言ってもらえて嬉しかった。
ずっと実家に関わっていけるのだと思ったし、何というか……ずっと私の居場所のひとつとして存在してくれるのだなと思いました。
夫が「親は大事にするのが当たり前。自分の親も妻の親も、親は親」という信念の持ち主だということも、大きな要因のひとつ。
まあ、それで苦労させられたこともありましたが。
彼が私の実家にちょくちょく行く(私だけじゃなくて、自分も行く)ことを全然嫌がらない、むしろ私より積極的に関わろうとする、そんな人だったので有難かった。
まあ、それでしんどい思いをしたこともありましたが。
父が亡くなって母はひとりで実家に住んでいる。
ちょくちょく電話したり訪問したりするのは、娘の義務である。
と、夫は思っている。
けどあんまり義務化されてしまったら(出不精の)私はしんどい。
季節ごとの花を撮りにいくこと、SNSなどで記事にさせていただけること、「実家に行く楽しみ」のひとつとして活用できること、
ブログの存在は本当に有難いなと思います。
余談の余談。
珍しく真面目っぽい話をしたついでに書かせていただくのですが
実家の農作業の手伝いを「もう無理」と卒業(自分勝手に離脱)させてもらったのは、
ひとつには自分の身体がもう保たないと思ったこと。運動不足の賜物ですな。
父の入院付添いなどでブランクがあって、彼亡き後、約1年半ぶりに農作業に参加したんですが
山畑に登るだけでヒイヒイだし、作業中転ぶわ落ちるわ滑るわ、
手伝いに来てくれてるOさん(おーさんと読んでください。マルさんではない。おっさんでもない。イヤおっさんだが)に
「今日はどこでコケてくれるんな? 楽しみやな」
と言われる始末。
大怪我する前にスッパリ身を引いた方が、世のため人のため自分のためだと思いました。
2つ目は手編み作品のご注文が相次ぐようになり、農作業しながらというのが無理になってきたこと。
寝ずに仕上げてそのまま実家に走って畑仕事して、いくらナンでも帰り道事故るわと思い実家で2時間寝て帰ってきて、夕飯作って洗濯してお風呂入ってまた編んで、翌日はまた実家に行って、
こりゃ無理ですわ。
もう若くはない。若くても、私にはそーゆー超人的生活は無理です。
3つ目は、これがいちばん大きな要因ですが、父がいないということ。
皆が農作業している山畑(別に倉庫でもいいけど)に行っても、そこに父がいないというのは、私にとっては有り得ない情景です。
手伝いが続けば、常にその状態を目の当たりにするわけで
父がもういないんだってことを実感せざるを得ない。
自他共に認めるファザコンazurにはちょっと耐えられない。耐えようと思えば耐えられるけど、耐えようと思わない。
要するに現実逃避。逃げたわけです。
亡くなる直前の数年間(約半年ずつだけど)一緒に農作業してきたので、思い出も多い。
手伝いに行ったらしばらく泣き暮らしそう。仕事にならんがな。
……と、まあ、そういうわけで農家のオバさんは廃業させていただきました。
母や義弟や妹や手伝いに来てくださってる方々には申し訳ないし、なかなか良心キリキリしますけどね。
長い余談でした。失礼しました。
花写真に戻ります。
ピンクのショウマは色が濃くなっていました。
ほわほわ可愛い。
細道を少し歩くと、
山紫陽花・清澄沢に出会えます。
大きな株が枯れて小さくなってしまっていますが、絶えることなく毎年咲いてくれます。
あれ?
ホトトギスが咲いてる。
季節を間違えたみたいですね。
思いがけないことでしたが見られて嬉しい。
ギボウシの花はこれからです。
父がアホほど集めたので、実家はギボウシだらけです。
小さい葉っぱからどデカい葉っぱまで、淡いグリーンやら濃いグリーンやら斑入り葉やら、ずらーっとな。って感じです。
亡父はコレクターでした。
けれど真のコレクターではなくて、愛でる対象が次々変わっていく、飽き性のコレクターだった。
柑橘類を数本ずつあちこちに植えてみたり →絶え間なくミカン類が食べられる感じ。
いろんな果物を数本ずつあちこちに植えてみたり →年がら年中何かしら果物が食べられる感じ。
金魚に熱中して買いまくってみたり →トロ舟ずらりと並べて飼ったはいいけど、水換えが重労働になってしまい挫折した。土佐金なんか1匹¥4000だか¥4500だかって、、、5・6匹いたけどお札が泳いでる感じ、、、
水生植物を集めてみたり →コウホネもその一環。
タニワタリの育成に精を注いでみたり →デカいシダ。実家には、広がった葉の直径2m超のがいくつもある。
風蘭も、ギボウシも、そう。
だいたい3年〜5年の周期でコロコロ移り変わっていったと思う。
植物関係が多いので、一貫性がないこともないな。
私も集めるのが好きですが、やっぱり血なんだろうな。血なら仕方ないなと思う。
またもや余談ですが(以前にも書いたことがあるかもしれませんけども)
血、と聞いて思い出すのは、ジブリ映画「魔女の宅急便」のワンシーン、画家の少女とキキの会話です。
「魔法ってさ、呪文を唱えるんじゃないんだね」
「うん。血で飛ぶんだって」
キキの返答に、私は愕然としました。
「将来の夢は魔法使い」という目論見(?)がガツンと一発、ぶっ壊されたからです。
そうか。
だから、フツーの人間は魔法使いになれないのか。
非常にしみじみ納得し、潰えた夢にサヨナラした18の夏でした。
だって、「魔法使い?アホか」「なれんもんはなれんの、無理なの」って笑うばっかしで、「なぜ人は魔法使いになれないのか」誰も教えてくれなかったんだもん、、、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
花画像に戻ります。
玄関前にはナナカマドが咲いてました。
実が生らない種類だそうです。
小さな花が集まった房はとても美しい。パールビーズ細工みたい。
濃さを増すアオキの葉っぱ。
アオキに囲まれた一角に、
銀梅花が咲き誇っていました。
花も可愛いけど、つぼみが可愛い。
まんまるで。
ふわあっと弾けて広がる花とぽんぽんマルいつぼみ、
うーんコサージュに編みたい。難しいけどな。
最後に温州みかん。早生です。
先日よりちょっと大きくなっていました。
梅雨の雨を吸って、またぐんと育ってるだろうな。
今回の作品
ご注文品です。
サンダーソニア2輪のリースコサージュです。
黄色系グラデとベルのような形が愛らしい花ですね。
茎と葉っぱには抹茶色を選びました。
明るい黄緑やリーフグリーンもよく合うんですが、あえて落ち着いた色に。可愛くなりすぎない雰囲気が欲しいと思いました。
リース台に左右からひと枝ずつ乗せて、リボンを結ぶデザインです。
花には中綿を詰めて、綿(わた)が見えないようにビーズでフタしています。
花の大きさに合わせて3色3種類のビーズを使っています。
中綿を詰めずに空洞にして、固めて形を整えるという方法もあります。
それだともっと軽く仕上がると思います。ワタって意外と重さがある(詰め込むからだと思うが)し、ビーズも重さの要因。
けれど、やっぱりワタを詰めた方が形が安定します。
チラ見えのビーズも可愛いしね。
それと、コサージュやチャームなどは固められるからいいんですが、シュシュの飾りモチーフに使う場合は固められないので、、、
固めちゃうとお洗濯ができなくなりますから。
リボンは生成り色にしました。小さなピコピコ模様がアクセント。
サテンやオーガンジー、木綿レースのリボンでも可愛いと思います。
おまけは、カブトピンでブローチをお作りしました。
ちょっとしたアクセントに。
作品のコサージュとおそろいで楽しんでくださればいいなと思います。
今回はこの辺で。長々と失礼しました。
またお会いできますように。