★北側の扉のコンクールにブルネレツキ敗北 ジョバンニ洗礼堂 フィレンツエ
1401年15世紀の初めのフィレンツエ、『ジョバンニ洗礼堂』の北側の新しい扉をめぐって、暑い戦いがくり広げられていました。
この洗礼堂の北側の新しい扉を制作するにあたって、国はコンペティションを開催しました、たくさんの候補から最終的に選ばれたのは『ロレンツオ・ギルベルティ』と『フイリッポ・ブルネレスキ』いずれも素晴らしい作品をを引っ提げての最終戦。
『ギルベルティ』はウマジモ(人文主義)の教養と、古典美術の綿密な研究を十分に加味した作品、一方『ブルネレツキ』はおきて破りの、斬新さに、なんとこの青銅製の浮彫の中に遠近法を持ち込むという両者互いに、異なるものによっての勝負。
『ギルベルティ』の方が若干有利、とその時、『ブルネレツキ』は眦を決して賞を辞退。
この結果この新しい扉の聖堂の浮彫28枚は作成者は『ギルベルティ』に決まったのでした。

この画像は、ギルベルティとブルネレスキが争ったコンペティションの北門ではありません。
後世有名になり、今も多くの観光客の鑑賞の対象となるのは、この東の扉です。

それは『ミケランジェロ』がこの扉を、『天国への門』と称して絶賛しました。
それによってこの扉のバリューが上がったわけですね。

そして、この画像にドアノブのような丸い人の顔の飾りがついていますがこの左側が作者の、『ギベルティ』です。

もしこの戦いに、『ブルネレツキ』が勝利していれば、彼は彫刻家としての道を歩んだでしょうから、『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の『クーポラ』は存在しなかったかもしれません。
いずれにせよ、このフィレンツェのシンボルである『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の三つの建物の二つまでが違うものになった可能性があったんですね。 面白いです。
そして、歴史の妙は、この青銅の浮彫には遠近法が取り入れられています、この浮き彫り28枚を完成させるのに、『ギルベルティ』は30年近くかかりました、そしてその年月は「遠近法」をごく普通の手法として、世の中に受け入れられることになったんです。
これだから旅はやめられませんね。