2020年12月訪問
★織田信長の親衛隊 赤母衣衆 尾山神社 金沢 石川
まずは『尾山神社』の本殿のファサードを見ていただきましょう。
前回も書きましたが、この神社は、江戸時代が終わり明治時代になってから、
金沢の氏子や、人々がお金を出し合って建立されてそうです。
とても屋根のアールがきれいですね。
さて、『前田利家』ですが、天下の豪傑として鳴らした人です。
若年の名前は『前田又左衛門利家』、平均身長が150センチ台といわれていた当時、彼は身長が180センチもあったといわれています。
『利家』が得手とした武具は三間半(6.3m)もの長槍だ。この為、周囲の者は
『槍の又左』と呼んで恐れました。
そして、この『前田利家公の像』を見てください、
何か、テントのようなものをしょっていますね。
これは『母衣』(ほろ)と呼ぶものです。
この『母衣』を風で膨らませて石や槍から身を守る補助の武具です。
『織田信長』は黒と深紅の『母衣』を付けた騎馬武者団を作りました。
赤と黒の『母衣』を付けた武者が戦場を走り回っていたんですね。
敵は怖かったでしょうね、しかも、戦闘には180センチの異形の武者が、6メートルもある槍を振り回していたわけですから、おっかなさ100倍ですよね。
『織田信長』らしいパフォーマンスですね。
余談ですが、私は『ブラウザ三国志』というゲームをやっていますが。そこのハンドルネームは『織田信長』なんです。同じゲームをやっているが居たら人コメください。