2020年12月訪問
★お松のおかげ 尾山神社 金沢 石川
『前田家』は加賀百万石とは言えど外様大名です。
『前田利家』の神社も江戸時代には作れなかったことは前に書きました。
明治時代になって、徳川幕府は倒れ、『前田利家』は『尾山神社』にまつられました。
『利家』の正室であり、『前田家』を救った、『お松の方』(後に芳春院)がここに
合祀されたのは平成10年でした。かなり長い間離れ離れだったんですね。
画像は『お松の方』を祀った、モニュメントです。
『お松の方』はカーナリ、肝っ玉の据わった女性だったようです。
『利家』お金好き、蔵にお金を貯めこむのが大好き、ところが、末森城の闘いの時
兵隊が足りません、『お松の方』は夫に、『さあ、金蔵にためてある金銀財宝に槍を持たして戦わせなさい』と夫を諫めたと言います、まぁ、これは『お松の方と利家』が
従兄どうしであったということもあるんでしょうけれど。
そして前にも書きましたが、『豊臣秀吉』がなくなり、時を同じくして『利家』も逝去します、『徳川家康』は、『前田家』の謀反のうわさを聞いて、『加賀征伐』を決めます。
また二代『前田利長』も、『家康』と闘うことを決めます、
まさにその時『お松の方』は『利長』を諫め自ら人質となるのです。
この『お松の方』の判断がなければ、『前田家』は滅びていたかもしれません。
歴史というのは、本当にたった一人の人間の判断で変わることがあるんですね。