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アムステルダム
ゴッホ美術館その2
ゴッホの絵はゴッホがかたくなに宗教や、人生を追求したように彼の作品もあらゆる可能性と組み合わせを追求したものになっています。
私には絵を描く技術は分かりませんが、日々刻々と変わっていく彼作品を見てあらゆる色彩の組み合わせ、あらゆる絵の具の置き方の妙味が伝わってきます。
ゴッホ美術館では、彼の自画像は年代順に並んでいます、それを見ていると1年の中でも大きな変化があることに気が付きます。それはあたかもバッハがあらゆる音の組み合わせを限りなく試していった何かに通ずるものがあると思うのです。
また、彼は典型的な中産階級出身者にもかかわらず、徹底的に農民や、工場労働者にアイデンティテイーを求め、たゆまず自己否定をした修行僧のような生活をしていました。
そういった自己否定と日々たゆまぬ研鑽が彼をしてこの素晴らしい宝石のような作品を数限りなく生み出したものです。
ゴッホは彼が生きている間は全く世間に評価されませんでした。障害に売れた作品はたった1枚、それも彼の叔父さんが買い求めたものでした。
ゴッホは生活は弟のテオが見ていました、生活費から画材まですべてテオがし送っていたのです。精神面でも大きな支えとなっていました。
ゴッホはその対価として自分が描いた絵をせっせとテオに送りました。テオは画商をしていましたが兄の絵を売ることはできませんでした。
ということで、ゴッホの絵のほとんどをテオが所有していました。しかしテオはゴッホがなくなると間もなく死んでしまいました。
このゴッホの絵を世に出したのはテオの妻ヨーの努力に追うことが大きいと言われています。
ゴッホの作品はこうしてヨーのところにほとんどが保管され保護管理されていました、ヨーの死後作品は子どものフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ相続されました、その後フィンセントの意思でその作品のほとんどが財団に売却ルカ寄付され、それを基に今のゴッホ美術館が作られました。
多分これほど完璧に個人の作品が年代別に、あるいはジャンル別に保管されている美術館はないのではないでしょうか。
私たちがこのようにたくさんのゴッホの作品を享受できているのは、生前彼の絵がほとんど売れなかったという彼自身にとっては不幸があったからという皮肉によるものです。
#アムステルダム #ゴッホ美術館 #ゴッホの弟テオ #テオの妻ヨー