★この時代にはありえない 聖母マリアの姿 ブレラ美術館 ミラノ
まずこの絵をじっくりとご覧ください。
作家は『アンドレア・マンテーニャ』(1431-1506)
この絵の題名は『死せるキリスト』
この絵の何がありえないかといいますと、左上に描かれている『聖母マリア』です、この時代、絵は発注者がいて、その発注者から事細かい注文が付けられます。製作者はその注文どうりに絵をかきます、ですから『聖母マリア』はどの絵を見ても、若く美しく描かれています。
服装が一般市民のもので地味という理由で教会からダメだしされた「カラバッジオ」の例もあります。
二つ目は、この大胆な構図、足のうらが見る方に向いています、生体離脱をして足元の立つとこう見えるのでしょうか、そうでもないですねそれでは足のうらが見えないですよね。
つまり視点はかがんだ姿でこのモデルを見ているわけですね、そうなると足のうらが大きく見えて顔は小さくなってしまう、なんとも処理しにくそうな構図ですよね、この手法を「前縮法」というそうですが、そのやり方で処理しています、それにしても思い切った尺処理ですね。
調べていくと、『アンドレア・マンテーニャ』は生涯この絵を手放さなかったようです。手放さなかったというよりは、彼はこの作品は売る目的ではなく自分用に書いたのではないかと思っています。ですから自分の思うがままに描けたのではないでしょうか?
それにしてもかなり生々しい絵ですよね、『イエス』は『ゴルゴダの丘』で磔刑に処せられます、その時に十字架に張り付けるために両手両足を太いくぎで打つつけられたうえ、槍で胸を刺されます。
この傷跡がかなりリアルに表現されています、血まみれのイエスの絵もよく見かけますが、実際に傷口をこうして見せられる方が、心に刺さるものがありますね。
今日から何回かで、『ブレラ美術館』をあなたと一緒に歩きたいと思っています。
この美術館の前身は、17世紀に建てられたイエズス会の建物だったそうです、それを、1772年に『神聖ローマ帝国』の『マリア・テレジア』が美術アカデミーとしたようです、なぜ彼女がここで登場するかというと当時彼女は「ロンバルディア王」も兼ねていたからです。
そして時がたち、ミラノにフランス軍が入ってきます、1809年に『ナポレオン』がここを美術館として整備して、1882年に公開しました。
なお、この建物物一階は今でも美術学校です、私はそこに入り込み、かなり時間をかけて美術館のエントランスを探しましたが見つかりませんでした。
美術館のエントランスは画像で見えている階段で二階へ行ってください。二階にエントランスがあります。