ayami yasuyhoの定義を考えていました。
僕のしたいことはパフォーマンス~ダンスだけではとどまりません。あれもしたい、これもしたい、そんなことを始終考えてしまいます。
そこでayami yasuyhoとはということを考えることが時々必要になります。自分が何をしたいのか途方に暮れるからなのです。
そもそもayami yasuyhoは2004年に秋紀芳慧のソロプロジェクトとしてスタートしました。それ以前にもこの名義で一時活動していました。その時はジャンクバンドのようなものでした。ノンテクニックミュージシャンで構成されたグループです。
2004年に秋紀が自分のしたいことを形にしていくためにayami yasuyhoをスタートさせました。当時自分の身体がなんだか人ごとのようにも思っていた節がありました。それはうまくはいえないのですが、自分の人生を生きていなかったからだと今では思えます。
そうしてとある晩に秋紀は秘儀的パフォーマンスをおこないました。そこからayami yasuyhoは始まったと僕は思っています。
スタート時に、YAMAHAのリズムマシン RY10、YAMAHAカセットMTR CMX100、SHARPのパソコン mebius PC-AL90G、sonyのMDWALKMAN MZ-N920、東芝のWラジカセ SUGAR SW7をメンバーとしました。とくに一人だったのでメンバーがなくともいいのですが、そういった自分の周りの物をメンバーとすることによって自分が何かしら確固たるものを始めたという実感が持てました。今見てもおもろいメンバーです。
そこから月刊ペースでパフォーマンスを始めました。一人で完結するそのパフォーマンスはただ自己確認のようなものだったかもしれません。ウィーンアクショニズムに影響を受けていたのかもしれません。
そうしたパフォーマンンスにはただ行為するというものではなく、呼吸を重要視しました。なぜ呼吸だったかというと、子供の頃に呼吸をしていることにふと我にかえって気がついたからです。無意識で呼吸するというのを何年もしていたということに気づいたときはショックでした。今から全てリセットして、意識して1からスタートして呼吸しようと考えましたが、そう思ってもうまくは出来ません。息をするのがこんなに大変だったなどとドキドキしながら考えさせられました。非常にこわい思いをしました。
そういった経験から呼吸というものを意識化していく稽古を独自に始めました。
そうした折にayami yasuyhoの第二のメンバーである栃本あずさが加入します。二人で呼吸を練習していく中でayami yasuyhoというものがさらに実体化していきます。
ここでふと思いました。僕はいったい何に興味があるのか。
秋紀がパフォーミングアーツに目覚めさせたのはなになのか、印象に残っている作品は何なのか。
勅使河原三郎+KARAS「NOIJECT」、DUMBTYPE「S/N」「OR」、丹野賢一(作品名は忘れた)、山海塾。
美術でいうと「もの派」李禹煥(り、うーふぁん)。
舞台作品に関していうと、全員成人してから身体訓練などしているという点が共通しています。僕は伝統芸能はできません。伝統を受け継いでいく芸能は成人してから習って極めるというのは難しいもののように考えていました。そしてさらにそこに個人が消失していると考えました。もちろん伝統芸能は型があり、その型を習得する過程においてやはりその人なりのものが現れてくると思います。しかし、そういう外から与えられた、規定された枠がある中から現れるというものが気に入らないのだと思います。
勅使河原三郎+KARASの「NOIJECT」で強烈に惹かれたのは勅使河原三郎ではなく、KARASのメンバーでした。明らかに勅使河原三郎よりうまくはないのですがそれ以上のなにか勢いというか、乱調の美のエナジーが噴出されていました。
DUMBTYPEも決して出演者はダンサーではありません。終始精錬された動きとは見えない、でもそこになにか美しさが現れていました。
李禹煥は国立国際美術館でその作品を見ました。ただ石が置いてあるだけの作品が好きでした。それは、人の意思が強烈に見てとれました。ただの大きい加工されていない石が作家の手を経て作品になっていました。
そういった経験が僕自身をパフォーマンスという分野に向かわせたと考えています。
througt my body、呼吸を通して身体を通過してものをつくるということが私たちの仕事です。その作業過程で呼吸をしながら、手で触れ、肌で感じてものをつくるということが自分の中の枠なのかもしれません。そこから僕がおもしろいと思えるものを形に表していきたい。