今日は、予定どおり、3時間分、早く早退して。
職場の近くのレストランで、ランチにパスタを食べて(贅沢しちゃった♪)。
そして、電車に乗って、新宿についてから、新宿を少しだけぶらっとして。
そして、また、電車に乗って、帰ってきました。
この時間から家に居ることって、なんだか、、いいなぁ~
以前は、二つ先の駅だったり、
せいぜい、五つ先の駅だったりに、通勤していたので。
身体もラクでしたし、いろいろと…うーん、腕前は別としても、
お料理を作って、ダンナさまの帰りを待っていました。
ダンナが帰ってくるのを待って、「おかえりなさい」と云える幸せ♪
今の職場だと、ムリだなぁ~(・・;)
* * *
今日の日記は、昨日の日記の補足なんです。
もし、よかったら、、聞いて(読んで)ください。。。
* * *
私が小学2年生だった、、ある日。
母が本を買ってきてくれました。
『あらしのなかの兄妹(あにいもうと)』
ハードカバーのその本を、私は、すぐに読み切って。
「それなりに」いろいろを、考えたり、おもったり、した、、とおもいます。
そして、後日。
私といちばん仲の良かった、Y子ちゃんが、
その本を、買ってもらって、読んだらしいのです。
私たち… 私とY子ちゃんとが、仲が良かったのと同じく、
私の母と、Y子ちゃんのお母さんも、仲が良くて。
どうやら、母が、この本のことを話題にし、
Y子ちゃんのお母さんも、Y子ちゃんに、その本を買ってあげたらしいのです。
すると。。。
Y子ちゃん。…なんと、その本を読んで「感動して泣いた」というではありませんか・・・・
その物語の内容は、、
えっと、、もう、引越しを繰り返すうちに、その本自体はどこかへ消えてしまったのですけれど、
確か、、こんな内容です。
両親を失った、兄と妹。
いろいろと、苦労があったけれど、その苦労に耐えられなくて。
たしか、、兄の方が、不良っぽくなるのです。
だけど、妹の方は、くじけずに居て。
たしか、、教会のシスターに。
だけど、それまでの苦労がたたって、、たしか、、病を得て。
不良だった兄が、改心して、戻ってきたころに、妹は亡くなってしまう。。
そして、兄は、妹の亡骸の前で、自分のしてきた過去を悔やむのです。
おおざっぱなあらすじで、すみません(・・;)
間違っているかもしれませんけれど、だいたい、こんな内容でした。
そして、私は、、というと。。
ちっとも、泣けませんでした。
いろいろを、、
物語を読み進めてゆくうちに、自分の中の感情に、抑揚にも似た、
上がり?下がり?が、有った、記憶はあります。
だけど、、どちらかというと、たんたんと、読んだような。。。
母は、私が、Y子ちゃんと同じく、「感動して泣いた」ということにしたかったらしく、
「うちの娘も泣いた」ということにしてしまったらしいのですけれど、、
そんなことより、私は、この本を読んで「泣く人が居る」ということが、新鮮な驚きでした。
じゃぁ。
私。。「本を読んで泣いた」のは、、いつ、、かなぁ。。
あんまり、、読まないから。。
最近は、涙腺が弱くなってきて、すぐ、涙、、っていうときもあるのですけれど。。
うーん。。
「本を読んで感動」ということであれば。。
百科事典を観ていて、「感動」した記憶があります。
そして、「観た」あとに、説明を読んで、感動に似た、
キラキラしたようなキモチを、味わった記憶があります。
あとは、、なんだろう、、子どものころの感動、、感動、、、
「ゴジラ」の、第一作目。 …あの、白黒映像の。
子どものころに観たのですけれど(テレビで)、
あれも、私の中では、「感動」と呼べると感じます。
え~と、、あとは、、なにか、あったかな。。
それとも?
子どものころの「感動」って、こんな程度のものなのでしょうか?
小学生のころの、(私の)通知表に、「感受性が強い」と書かれてあったのを、
何度か見ましたけれど。。
え~? これじゃぁ、感受性が強いとは、云えないような気がしてきました。
* * *
実は、昨日。
二つのブログに、コメントを差し上げたんです。
そうしたら。
私以外の方々が、コメントを送信していらっしゃるなかに、
「すごく感動」 とか、「涙があふれた」って、綴っていらっしゃったのです。
私も、、「心が動いた」感じはしましたけれど、
「すごく感動」 とか、「涙があふれる」という感覚はなくて。
もっと、、なんていうか、、ふわぁっと、、という、感じでした。
そのことに、昨日は、「はっ」とさせられて。
「感動」について、考えていました。
もちろん。。【感じ方は人それぞれ】でしょう。
人の感情に合わせる必要もない、、ということも、わかります。
だけど、、だけど、、なんか、変かも、、私。。
しかも、小学生のころから。。。
職場とかだと、「気にし過ぎ」といつも云われるくらいに、考え過ぎで、
「そんな奥まで、人のこと考えてるの?」と、尋ねられることもあるくらいだけど。
なんというか、、「こういうこと」に限っていえば。
「みんなと同じものに感動できる」方が、なんとなく、、良いような気がしました。
その方が、感動の共有もできるし。
でも、、仕方ないのかも、、これが、私なんだから・・・・
いいなぁ~ 多くの人たちと、感情や感動が共有できる、、っていうの。。。
Ray☆彡
職場の近くのレストランで、ランチにパスタを食べて(贅沢しちゃった♪)。
そして、電車に乗って、新宿についてから、新宿を少しだけぶらっとして。
そして、また、電車に乗って、帰ってきました。
この時間から家に居ることって、なんだか、、いいなぁ~
以前は、二つ先の駅だったり、
せいぜい、五つ先の駅だったりに、通勤していたので。
身体もラクでしたし、いろいろと…うーん、腕前は別としても、
お料理を作って、ダンナさまの帰りを待っていました。
ダンナが帰ってくるのを待って、「おかえりなさい」と云える幸せ♪
今の職場だと、ムリだなぁ~(・・;)
* * *
今日の日記は、昨日の日記の補足なんです。
もし、よかったら、、聞いて(読んで)ください。。。
* * *
私が小学2年生だった、、ある日。
母が本を買ってきてくれました。
『あらしのなかの兄妹(あにいもうと)』
ハードカバーのその本を、私は、すぐに読み切って。
「それなりに」いろいろを、考えたり、おもったり、した、、とおもいます。
そして、後日。
私といちばん仲の良かった、Y子ちゃんが、
その本を、買ってもらって、読んだらしいのです。
私たち… 私とY子ちゃんとが、仲が良かったのと同じく、
私の母と、Y子ちゃんのお母さんも、仲が良くて。
どうやら、母が、この本のことを話題にし、
Y子ちゃんのお母さんも、Y子ちゃんに、その本を買ってあげたらしいのです。
すると。。。
Y子ちゃん。…なんと、その本を読んで「感動して泣いた」というではありませんか・・・・
その物語の内容は、、
えっと、、もう、引越しを繰り返すうちに、その本自体はどこかへ消えてしまったのですけれど、
確か、、こんな内容です。
両親を失った、兄と妹。
いろいろと、苦労があったけれど、その苦労に耐えられなくて。
たしか、、兄の方が、不良っぽくなるのです。
だけど、妹の方は、くじけずに居て。
たしか、、教会のシスターに。
だけど、それまでの苦労がたたって、、たしか、、病を得て。
不良だった兄が、改心して、戻ってきたころに、妹は亡くなってしまう。。
そして、兄は、妹の亡骸の前で、自分のしてきた過去を悔やむのです。
おおざっぱなあらすじで、すみません(・・;)
間違っているかもしれませんけれど、だいたい、こんな内容でした。
そして、私は、、というと。。
ちっとも、泣けませんでした。
いろいろを、、
物語を読み進めてゆくうちに、自分の中の感情に、抑揚にも似た、
上がり?下がり?が、有った、記憶はあります。
だけど、、どちらかというと、たんたんと、読んだような。。。
母は、私が、Y子ちゃんと同じく、「感動して泣いた」ということにしたかったらしく、
「うちの娘も泣いた」ということにしてしまったらしいのですけれど、、
そんなことより、私は、この本を読んで「泣く人が居る」ということが、新鮮な驚きでした。
じゃぁ。
私。。「本を読んで泣いた」のは、、いつ、、かなぁ。。
あんまり、、読まないから。。
最近は、涙腺が弱くなってきて、すぐ、涙、、っていうときもあるのですけれど。。
うーん。。
「本を読んで感動」ということであれば。。
百科事典を観ていて、「感動」した記憶があります。
そして、「観た」あとに、説明を読んで、感動に似た、
キラキラしたようなキモチを、味わった記憶があります。
あとは、、なんだろう、、子どものころの感動、、感動、、、
「ゴジラ」の、第一作目。 …あの、白黒映像の。
子どものころに観たのですけれど(テレビで)、
あれも、私の中では、「感動」と呼べると感じます。
え~と、、あとは、、なにか、あったかな。。
それとも?
子どものころの「感動」って、こんな程度のものなのでしょうか?
小学生のころの、(私の)通知表に、「感受性が強い」と書かれてあったのを、
何度か見ましたけれど。。
え~? これじゃぁ、感受性が強いとは、云えないような気がしてきました。
* * *
実は、昨日。
二つのブログに、コメントを差し上げたんです。
そうしたら。
私以外の方々が、コメントを送信していらっしゃるなかに、
「すごく感動」 とか、「涙があふれた」って、綴っていらっしゃったのです。
私も、、「心が動いた」感じはしましたけれど、
「すごく感動」 とか、「涙があふれる」という感覚はなくて。
もっと、、なんていうか、、ふわぁっと、、という、感じでした。
そのことに、昨日は、「はっ」とさせられて。
「感動」について、考えていました。
もちろん。。【感じ方は人それぞれ】でしょう。
人の感情に合わせる必要もない、、ということも、わかります。
だけど、、だけど、、なんか、変かも、、私。。
しかも、小学生のころから。。。
職場とかだと、「気にし過ぎ」といつも云われるくらいに、考え過ぎで、
「そんな奥まで、人のこと考えてるの?」と、尋ねられることもあるくらいだけど。
なんというか、、「こういうこと」に限っていえば。
「みんなと同じものに感動できる」方が、なんとなく、、良いような気がしました。
その方が、感動の共有もできるし。
でも、、仕方ないのかも、、これが、私なんだから・・・・
いいなぁ~ 多くの人たちと、感情や感動が共有できる、、っていうの。。。
Ray☆彡
綴られてあったように
感じ方はひとそれぞれであり
いろいろである
言葉にしなくても
感動はある
あとから
じわ~と感じることもある
他者に思い(想い)をかけることは大切
でも
他者を余り意識しすぎると
自分(私)がなくなってしまう
他者と自分を比較しない
自分は他者にはなれない
自分という人間は自分でしかない
* * *
あ♪確かに、、あとから、、そう、あとから、思い出して、感動する、、ということも、あるかもしれないですよね?
「あと」というのは、何年も経ってから、という場合もあるかもしれませんよね。。?
でもね?
今回、わたし、なんだか・・さびしかったんです。
みんなと一緒の「何か」から得た「感情」を、「共有」できるって、、いいなぁって・・
みんなが羨ましかったの。
だって、昨日。
二つのブログへ寄せられた、私以外の皆さまからのコメントって、明らかに「感動」を現す言葉が並んでいたんですもん。
私だけだったんだもぉぉぉん。
あんまり、、感動できていなかったのは・・
共有したかったんです。
感情の共有・・
感動の共有・・
だけど、わかっているつもりなのです♪
人格の共有はできないし。。。
自分は、、自分って。
と、いう、お話だったのでした♪
いつもありがとうございます♪星光輝さま♪
Ray