★瑠璃色のそらへ~☆彡

暗い気持ちになると
「ここ」に言葉を綴りたくなるのは なぜ?
夜更かしRayの想い日記♪
 ※更新は数日に一度です

『あらしのなかの兄妹』

2017年12月04日 16時46分24秒 | わたし♪ いろいろ ♪
今日は、予定どおり、3時間分、早く早退して。
職場の近くのレストランで、ランチにパスタを食べて(贅沢しちゃった♪)。


そして、電車に乗って、新宿についてから、新宿を少しだけぶらっとして。

そして、また、電車に乗って、帰ってきました。


この時間から家に居ることって、なんだか、、いいなぁ~


以前は、二つ先の駅だったり、
せいぜい、五つ先の駅だったりに、通勤していたので。

身体もラクでしたし、いろいろと…うーん、腕前は別としても、
お料理を作って、ダンナさまの帰りを待っていました。

ダンナが帰ってくるのを待って、「おかえりなさい」と云える幸せ♪

今の職場だと、ムリだなぁ~(・・;)

  *  *  *

今日の日記は、昨日の日記の補足なんです。

もし、よかったら、、聞いて(読んで)ください。。。

  *  *  *

私が小学2年生だった、、ある日。

母が本を買ってきてくれました。

『あらしのなかの兄妹(あにいもうと)』


ハードカバーのその本を、私は、すぐに読み切って。

「それなりに」いろいろを、考えたり、おもったり、した、、とおもいます。


そして、後日。


私といちばん仲の良かった、Y子ちゃんが、
その本を、買ってもらって、読んだらしいのです。


私たち… 私とY子ちゃんとが、仲が良かったのと同じく、
私の母と、Y子ちゃんのお母さんも、仲が良くて。


どうやら、母が、この本のことを話題にし、
Y子ちゃんのお母さんも、Y子ちゃんに、その本を買ってあげたらしいのです。


すると。。。

Y子ちゃん。…なんと、その本を読んで「感動して泣いた」というではありませんか・・・・



その物語の内容は、、

えっと、、もう、引越しを繰り返すうちに、その本自体はどこかへ消えてしまったのですけれど、
確か、、こんな内容です。


  両親を失った、兄と妹。

  いろいろと、苦労があったけれど、その苦労に耐えられなくて。
  たしか、、兄の方が、不良っぽくなるのです。

  だけど、妹の方は、くじけずに居て。
  たしか、、教会のシスターに。
  だけど、それまでの苦労がたたって、、たしか、、病を得て。
  不良だった兄が、改心して、戻ってきたころに、妹は亡くなってしまう。。

  そして、兄は、妹の亡骸の前で、自分のしてきた過去を悔やむのです。


おおざっぱなあらすじで、すみません(・・;)

間違っているかもしれませんけれど、だいたい、こんな内容でした。


そして、私は、、というと。。

ちっとも、泣けませんでした。


いろいろを、、

物語を読み進めてゆくうちに、自分の中の感情に、抑揚にも似た、
上がり?下がり?が、有った、記憶はあります。

だけど、、どちらかというと、たんたんと、読んだような。。。



母は、私が、Y子ちゃんと同じく、「感動して泣いた」ということにしたかったらしく、
「うちの娘も泣いた」ということにしてしまったらしいのですけれど、、


そんなことより、私は、この本を読んで「泣く人が居る」ということが、新鮮な驚きでした。



じゃぁ。


私。。「本を読んで泣いた」のは、、いつ、、かなぁ。。

あんまり、、読まないから。。



最近は、涙腺が弱くなってきて、すぐ、涙、、っていうときもあるのですけれど。。



うーん。。


「本を読んで感動」ということであれば。。


百科事典を観ていて、「感動」した記憶があります。

そして、「観た」あとに、説明を読んで、感動に似た、

キラキラしたようなキモチを、味わった記憶があります。



あとは、、なんだろう、、子どものころの感動、、感動、、、



「ゴジラ」の、第一作目。 …あの、白黒映像の。


子どものころに観たのですけれど(テレビで)、

あれも、私の中では、「感動」と呼べると感じます。



え~と、、あとは、、なにか、あったかな。。



それとも?

子どものころの「感動」って、こんな程度のものなのでしょうか?



小学生のころの、(私の)通知表に、「感受性が強い」と書かれてあったのを、
何度か見ましたけれど。。


え~? これじゃぁ、感受性が強いとは、云えないような気がしてきました。


  *  *  *


実は、昨日。

二つのブログに、コメントを差し上げたんです。


そうしたら。

私以外の方々が、コメントを送信していらっしゃるなかに、
「すごく感動」 とか、「涙があふれた」って、綴っていらっしゃったのです。


私も、、「心が動いた」感じはしましたけれど、
「すごく感動」 とか、「涙があふれる」という感覚はなくて。


もっと、、なんていうか、、ふわぁっと、、という、感じでした。



そのことに、昨日は、「はっ」とさせられて。


「感動」について、考えていました。



もちろん。。【感じ方は人それぞれ】でしょう。

人の感情に合わせる必要もない、、ということも、わかります。


だけど、、だけど、、なんか、変かも、、私。。

しかも、小学生のころから。。。



職場とかだと、「気にし過ぎ」といつも云われるくらいに、考え過ぎで、
「そんな奥まで、人のこと考えてるの?」と、尋ねられることもあるくらいだけど。


なんというか、、「こういうこと」に限っていえば。

「みんなと同じものに感動できる」方が、なんとなく、、良いような気がしました。


その方が、感動の共有もできるし。


でも、、仕方ないのかも、、これが、私なんだから・・・・


いいなぁ~ 多くの人たちと、感情や感動が共有できる、、っていうの。。。


Ray☆彡


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感じ方はいろいろ (星光輝)
2017-12-04 18:33:44
Ray Sama

綴られてあったように
感じ方はひとそれぞれであり
いろいろである

言葉にしなくても
感動はある
あとから
じわ~と感じることもある

他者に思い(想い)をかけることは大切
でも
他者を余り意識しすぎると
自分(私)がなくなってしまう
他者と自分を比較しない
自分は他者にはなれない
自分という人間は自分でしかない


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星光輝さま~☆ (Ray)
2017-12-04 23:44:33
こんばんは♪間もなく、今日という日が過ぎようとしています。

  *  *  *

あ♪確かに、、あとから、、そう、あとから、思い出して、感動する、、ということも、あるかもしれないですよね?

「あと」というのは、何年も経ってから、という場合もあるかもしれませんよね。。?


でもね?

今回、わたし、なんだか・・さびしかったんです。

みんなと一緒の「何か」から得た「感情」を、「共有」できるって、、いいなぁって・・
みんなが羨ましかったの。

だって、昨日。

二つのブログへ寄せられた、私以外の皆さまからのコメントって、明らかに「感動」を現す言葉が並んでいたんですもん。

私だけだったんだもぉぉぉん。
あんまり、、感動できていなかったのは・・

共有したかったんです。

感情の共有・・
感動の共有・・


だけど、わかっているつもりなのです♪
人格の共有はできないし。。。
自分は、、自分って。

と、いう、お話だったのでした♪

いつもありがとうございます♪星光輝さま♪
Ray
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