みなさま☆こんにちは☆
木曜、金曜、土曜・・
3日間も続けて非番♪
静かなじかんの流れる中で、ゆったりと過ごすことがスキ☆
5月も末日を過ぎ、
さて、今日から、早や、6月です。
* * *
もう10年以上も前のことになりますでしょうか・・
山田孝之さん、綾瀬はるかさんが出演のテレビドラマ。
「世界の中心で 愛を叫ぶ」というドラマが、一気に 再放送されたことがありました。
ある年の暮れだったと思います。
(ネタバレ ↓ あります)
綾瀬はるかさん演じる、高校生「亜紀ちゃん」が、白血病で亡くなってしまい・・
この世に残った山田孝之さん演じる、同じく高校生の「朔太郎くん」は、
その後、気持ちの整理がつかないまま、自分で自分がなんだかわからなくなったまま、
寝る間を惜しんで、勉学に勤しみ、
ふと、気がつくと、涙を流していることに気がついたりする日々を送り、
そして、やがて、医師となった朔太郎くんを演じたのは、緒方直人さんでした。
医師となった朔太郎くんは、故郷に帰った際、
三浦友和さん演じる「亜紀ちゃんの父」と再会します。
「人の生死を見つめる医師の仕事は辛いだろう」
亜紀ちゃんの父にそう言われて、涙を流す朔太郎くん。
その、亜紀ちゃんの父の、お話の中に
「亜紀の記憶がうすれてきて」手塚理美さん演じる「亜紀ちゃんの母」に
「あのときはどうだったか」を、尋ねることもある、
…といった内容の台詞がありました。
記憶がうすれる・・
失った我が子の記憶がうすれてくる、なんていうこと、あるんだろうか?
と、大変に不思議な想いになりました。
* * *
さて。
このドラマを観る数年前。
私たち夫婦は、不妊治療に取り組んでいました。
私の身体の調子で日程が決まってゆく通院日程の確保のために
病院が開院している昼間に通院ができ、
そして、少しは時間に融通のきく在宅ワークのお仕事に合格した私は、
高額な漢方薬を服用しながら、自宅で仕事をしていました。
年に一度の大学受験などと異なり、妊娠は、ほぼ月に1回、チャンスがあります。
その頻度の高いチャンスにすがり、不妊治療を続けていました。
治療をいつまで続けるのか?
高額な費用をどうやって都合し、念願叶い出産してからの経済的なことはどうするか?
そして、なぜ不妊なのかの原因が、検査をしてもわからなかった私たち夫婦にとって、
治療というより、まさに出口の見えないトンネル状態。
そんな生活を、5年ほど、続けていましたが、
確か・・このブログの中では、そのことに、一切、触れずにいた
・・と、記憶しています。
当時の私は、まるで、妊娠することが、終着点のような気がしていました。
そう、流産さえも、羨ましかったんです。
流産は、妊娠してこそ、起こるもの、その妊娠さえ出来ない私、
って、考え、考え、想っていました。
そんな…流産が羨ましいなんていうこと、
けっして、口にしても、想っても、よろしくないと、わかっていましたけれど、
私の気持ちは、どうにもならなかったんです。
そんな気持ちを抱いていたからでしょうか?
その後、私にとって、大きな悲しみを迎えることとなります。
私たち夫婦は、不妊治療を止める、という、大変な決意の、
わずかなあと、自然妊娠しました。
聞いてはいました。
不妊治療を止めると、気持ちが解放されるためか?自然妊娠するかたも
いらっしゃる、ということ。
まさに、私たち二人もそうだったのね、と、
夫婦二人で、喜びました。
妊娠したことを病院へ行き、初めて検査した日は、
ダンナが、どうにもこうにも、仕事を休めなかったので、
私一人で行きました。
妊娠3ヶ月ほど経っているということを、ダンナに電話で知らせながら、
私は、自宅近くのお店の、エスカレーターの影になるところで、
涙がボロボロこぼれました。
初めて経験する、うれし涙。
電話の向こうのダンナも、涙声でした。
その夜のダンナは、はずせない飲み会があったので、
私は一人で夕食をとっていましたが、
身体の中に、もう一人居ることが、うれしくてうれしくて、
今、食事をしている栄養が、赤ちゃんに届くようにと、想いながら食べました。
帰ってきたダンナは、あまり飲めないお酒をたくさん飲んだらしく、
「今日は、これまで飲んだ酒の中で、いちばん、うまい酒だった!
Ray、ありがとう!」
と、何度も、何度も、言いました。
ところが。
そう、私は、流産しました。
5月15日の検診で、心臓が止まっていることがわかったのでした。
一緒に内診室に入っていたダンナは、
ウソだ、ウソだ。。と、小声で云いながら、壁を叩いていました。
今日は、何ミリ、大きくなっているだろう、と
生命の大切さと偉大さのようなものを、実感しながら、の、
楽しい通院のはずでした。
その翌々日、私は掻爬(そうは、と、読みます)の手術を受けました。
準備ができ、さぁ、手術となった際、
涙と嗚咽が止まらず、少し、手術開始が遅くなりました。
そのあとの、喪失感といったら・・いまだに、言葉に現せません。
手術のあと、身体を休めるベッドに横たわり、
その後、ダンナと診察室に入り、先生のお話を聞きました。
そして、私のお腹から取り出されたばかりの、赤ちゃんの姿、を、見ました。
少しばかり大きくなった赤ちゃんだったので、
手術は、少しばかり大変だと、聞いていました。
そして、そのためでしょうか・・私たちの赤ちゃんのすがたは
複数のカケラで、バラバラになって、透明な液体の中、ひとつの瓶に詰められていました。
そんなふうな姿になってしまったことを、先生は少し・・
申し訳なさそうにしていらしゃいました。
* * *
どこのお寺で供養していただこうか、と、夫婦二人で考えました。
深大寺だったり、その頃によく出向いていた川崎大師だったり、
大きくて有名なお寺ばかりが思い浮かびましたけれど、
ネットで探していた私は、
すぐ隣りの県にある、お寺の別院、地蔵堂が目に止まりました。
車で、30~40分ほど先。
近くていいな、って、想いました。
ダンナに伝えると、すぐに、ダンナも賛成してくれたので、
供養の予約をとりました。
供養には、お地蔵さまにお供えするお菓子や、そして果物の準備を、と、
説明を受けた私は、
またまた、百貨店や有名な果物屋さんへ行くことを考えましたけれど。。
ふと、そのころ、新しく出来てから、まだ数年の
住まいのベランダから見えるスーパーを思い起こしました。
生まれてきたら、きっと、このスーパーの果物を
私たち夫婦と3人で、笑顔で、食べたに違いない、と
想った私は、そのスーパーで、果物かごを作っていただきました。
綺麗な果物かごでした。
お地蔵さまにお供えするお菓子も、そのスーパーで準備しました。
供養の当日には、ご住職が戒名を付けて、待っていてくださいました。
「自分の子どもに名前が付いたこと」
それが、戒名だろうが、なんだろうが、私には関係ありませんでした。
我が子に名前が付いたこと、そのことが、うれしくて、うれしくて。
もう、どれだけ、うれしかったことでしょう!
ご住職と、その戒名の記された位牌を目にしながら、
私たち夫婦は手を合わせ、この子が、お地蔵さまのおそばで
お友達みんなと一緒に、幸せな気持ちで居られるように、
ただ、それだけを願い、祈りました。
とても、安らかさを感じる戒名で、ダンナもうれしそうでした。
* * *
そんなことがあってから、わずか、5ヶ月後。
私は、再び、妊娠しました。
なんの根拠もないのに、「今回は大丈夫」と思い、
そして、こんなふうに、なんの根拠もない自信こそ、本物だ、と、
信じて疑っていませんでした。
そして、
さぁ、今日の通院で、母子手帳をいただける書類を、
病院から、もらえる日、の、はず、でした。
でも。。
赤ちゃんの心臓は、止まっていました。
11月27日のことでした。
その4日前には、母とダンナと私の3人で、百貨店で
ベビー用品を見たばかりでした。
5月のころと同じく、掻爬の手術を受けました。
* * *
自分の赤ちゃんの心臓は、いったい、いつ、止まったのか?
なんの自覚も気配もありませんでした。
なんの痛みもありませんでした。
私のお腹に来てくれた赤ちゃん二人は、
なんの前触れも無く、
私のお腹から、旅だって
そして、逝ってしまいました。
* * *
我が子の記憶がうすれてゆく・・
そう、あの日の空の美しさを。
写メで撮ろうとしたけれど、記憶だけに留めようと想ったあの空。
どんなふうだったか・・
もう、ぼんやりとしか、思い出せません・・
* * *
あ!
そういえば。
今日、6月1日は、母方のおじいちゃんの命日でした。
Ray
donだす。
言葉が無いです。
ご冥福をお祈りいたします。
何というか、言いようのない悲しみを感じます。
でも…でもでも……。
どんな記憶も財産だと思っています。
いや、正直に言うとそう思うようにしています。
だから無くさない方が良いと私は思っています。
こんな長い話を、お読みくださり、
本当にありがとうございます!
そして、どんな内容であっても、どんなときも、
コメントを残してくださるドンちゃま☆
いつも、いつも、うれしく思っています。
そして、私たち夫婦の子どものために、
祈ってくださったこと、
本当にありがとうございます
ドンちゃまとドンちゃまのご家族が、
お幸せでお健やかな毎日でありますように・・
お祈り申し上げております。
Ray
私ごとでしかない、長い話をお読みくださり、
本当にありがとうございます!
「でも…でもでも……。」
いただいた、このお言葉に、からくさんからの温かさを感じました。
お気遣いをくださったことも、本当にありがとうございます
記憶は財産・・
無くさないこと、覚えておく・覚えている、こと・・
そうして、そうやって、その人の死と一緒に、その記憶は、
空へと昇るのでしょう。。きっと・・
そっか!
みんな、一人一人が、記憶という財産を持っているのですね☆
同じ経験をしても、一人にひとつ。
たったひとつ。
なんだか、気づきを得ました。
ありがとうございます♪
Ray
私事ですが4月に最愛の母を亡くし、間もなく四十九日の法要を控えています。母の死に際し、もっともっと尽くしてあげられることがあったのではないかとの後悔の念に苛まされる日々が最近続いています。
しかしながら、2度もお子様を見送らねばならなかったRayさんとご主人様の悲しみは想像を絶するものとの想いが禁じ得ません。
自身の我儘で独り身を通し、母には心配だけを残して見送った結果、人はなぜ生きてそして死ななければならないのか、時間が出来た時にふとそんな答えのないことを思いうかべるような日々ばかり最近は過ごしています。
とりとめのない話でごめんなさい。今日の投稿を拝読して、深い悲しみそれ以上にご夫婦でともに前に進もうとする強く固い決意につい自分も頑張らねばならないと感じた次第でコメントを書かせて頂きました。
これからも更新を楽しみにしています^^
再び、会話をすることができて、とてもうれしいです☆
そして、こちらこそ、私ごとの、長い話をお読みくださり、
加えて、コメントまでくださったこと、
本当にありがとうございます。
そのコメントの中で、大切なお母様のお話を、
そして、sealionさまの大切なお気持ちを、綴ってくださいましたこと、
本当にありがとうございます。
私なぞが読ませていただくことを、勿体ないことと想い、とても有り難く想いました。
* * *
最愛のお母様。
お子さまでいらっしゃるsealionさまが、「最愛」と言葉で現していらっしゃることを
素晴らしいと感じました。
きっと・・sealionさまの心の中に、
お母様への想いと、記憶とが、海のように、深く、広く、大きく、
広がっていらっしゃるのでしょうと、感じました。
それは、「記憶」を超えた、まさに「愛」でいらっしゃることでしょう。
「愛」をもって、「人」を想うことの素晴らしさを、
sealionさまのコメントから、改めて、学ばせていただいたように想います。
そして、私の持論でしかありませんけれど、
「愛」は、きっと、相手に伝わるもの・伝わっているもの、
そして、「お互いに想い合っているもの」だと、想うのです。
もしかしたら・・
もしかしたら、ですけれど。。
sealionさまのお母様も、「我が子に、もっと、できることがあったかもしれない」
と、感じていらっしゃったかもしれません。。
どうか、ご自信を、責めないでくださいませ。
きっと、今でも、お母様は、sealionさまのお幸せとお健やかな毎日を、
願いながら、祈っていらっしゃることでしょう。
我儘で通されたことも、きっと、我儘ではなく、
sealionさまの、大切な選択・決断でいらっしゃったことと想います。
その選択や決断。
長い目で見たとき、この世の旅立ちを迎えるとき、
あぁ、これが自分だったんだ、これで幸せだったのだ、
想えるように・・
sealionさまと、そして、この世を同時に生きる皆さまとご一緒に
頑張ってゆきたいと。。
気持ちが新たになりました。
ありがとうございます☆sealionさま・・☆
(偉そうなことを、私こそ、ごめんなさい、です)
ところで!
愚かな私は、縷々の意味がわからず、
調べた次第です・・お恥ずかしい・・^^;
こちらこそ、sealionさまの良いタイミングでのブログご復活を
心待ちに、楽しみにしております。
* * *
大切なお母様の魂が安らかでいらっしゃいますように・・
心からお祈り申し上げます。
四十九日でのご供養が、滞りなくお済みなり、
sealionさまのお心が、お母様に届きますように・・
Ray