先日、はっと、気がついたことがあります。
腕の、日焼け、です。
異動前より、外へ出る機会が多いのですから、日焼けして当然(・・;)
その、少し、健康色に色づいた腕を見ていて、、、蘇ってきた、記憶。。
自慢込みの話になってしまったようで、
しばらく、、『この日記』の、投稿を、ためらっていました。
自慢…というか、
「そのとき」否定したかったのに、受け入れたままな形になってしまったというか。。
でも。 私にとっては、忘れられない話なのです。
もし、よかったら。。読んでください。。
--------------------------------------------------
私が、大学を卒業した春。 就職して始めたお仕事は、
予備校の事務、でした。
同期は、男性2人 女性5人(私を含めて)。
その春。
仙台校が開校したので、仙台にも同期がいましたけれど、
もう何年も前から、完全に、連絡し合うことが途絶えていて。。
あの、震災のときは、、どんなふうだったのか……
* * *
こちらでも、仙台でも、数名ずつ、退職していった同期。
こちらの同期は、最後は、ARと私、女性二人だけが残りました。
(お互いに、プライベートでは、あい称の、敬称なしで呼び合っていたので、
「ここ」でも、敬称なしで、記します。)
残った私たち二人は、職場の帰り、よく出かけました。
ちょっと、あの街、この街と、立ち寄ってみたり、
帰りにごはんを、いっしょに食べたりして。
ほんのときどきでしたが、ジムや、
そして、旅行にも、いっしょに行きました。
* * *
ある日。
とうとう、私は、自分の、暗くて、重い、想いを、打ち明けます。
全部じゃなかったけれど、ほんの少しだけ…
ほんの少しだけだったけれど、それだけでも、私にとっては、
たいへんな勇気が必要でした。
吉祥寺の、、もう、どのビルだったかも、覚えていない。
3階か、4階くらい。
吉祥寺…
電車を乗り換えないと、職場からはいけない駅だけど、
どうして、吉祥寺だったのか…
窓際の席。 向き合って座って。
夜ごはんをいっしょに食べて。
…確か、サラダやパスタ。
コーヒーカップと、お水のグラスだけになったテーブル。
すこし短めな話を、ARは、黙って、聴いてくれました。
しばらく、、二人の間に、沈黙な時間が流れて。。
私が、黙ったままのARに、不安を感じ始めたころ。。
彼女が、口を開きました。
「Rayはさ、キレイな人だと思うよ?」
え?
私は、外見にまつわる話をしたのではありませんでした。
なのに、、どういうこと???
「そんなに、ほそくて、きれいで。
顔、ちっちゃくて、 首、長くて。
腕だって、そんなに、しろぉくて、ほそぉくて。」
なんの話か、私には、理解できませんでした。
…黙ったまま。 何も言えませんでした。
窓の外。 陽はとっくに暮れて。
ほぼ目の前に、街灯のひかり。
階下の道。 人々が、行き交っているのが見えました。
ARが、さっと、話題を変えました。
* * *
それから、少しずつ、私たちは疎遠になってゆきました。
私たちは、元々、AR、MD、私、3人で仲が良くて。
先輩の方々から、「3人娘」と、呼ばれていました。
3人でも、旅行に行ったりしていました。
3人だったから、バランスがとれていたのかもしれません。
二人になって、お互いが、お互いに対して、向き合うようになって。
お互いを深く考えたり、観たりするようになったのかもしれません。。
* * *
いま、想いだすと。。
ARは、私より、精神的に大人でした。
仕事も、私より、ずっと、できる人でした。
もしかしたら、あのとき。
ARは、ARなりの、アドバイスを、してくれたのかもしれません。
私、、という人間を、総合的に観て。
…私の伝える、「過去による今」、という部分だけではなくて。
「当時の今」や、「何十年か先の未来」を含めて、アドバイスをしようとしたとき。。
ARにとって、行きついた、私への話が、
そういうものになっただけ、、なのかもしれません。。
あるいは・・
まだ、お互いに、20代。
相談する側も、相談された側も、未熟だったのかもしれません。
少なくとも、私は。。
誰かに相談したとしても、その誰かからの言葉、、それを受け入れる準備は、
まったくできていなかった、
…と、「現在の今」なら、わかります。
* * *
今では、私たち3人は、全員が、とっくの昔に、退職しています。
MDは、2児のママ。
私は、MDが挙式した、4ヵ月後に結婚。
ARは、今も、独身、、です(たぶん)。
職場で知り合った「彼」とは、結婚を前提に、お付き合いしていたはずでしたけれど…
* * *
数年前。
「メールしても、ARから、返事が来ないよ~。」
MDからのメール。
「前に、ARが、連絡はFAXがいい、って、云ってたから、
そうしたんだけど、FAXしても、返事が来ない~。」
「私、電話、してみよっか?」
「電話した~。でも、電話にも出ないよ~。」…と、MD。
私たちは、「どうしよう?」と云い合いながら、結局、AR抜きで会いました。
MDは子育ての真っ最中。
外出がままならないということで、彼女の家で会いました。
他愛もない、たくさんな話を、楽しくして、帰ってきました。
MDも、そして、私も、
ARのことを、いまでも、大切な友だちだと感じていることが、
はっきりと、わかった時間、でした。
-------------------------------------------------
ARにも、何らかの、迷いか、悩みが、あったのかもしれません。
仮にそうだったとして。
想いを、先に、口にしたのは、私、でした。
先 あと … 先 と あと。
私は、悩みには、基本的に、高低や、優劣は、ない、と、考えています。
だけど。
先に打ち明けられてしまったら。
打ち明けられたほうは、苦しむこともある。。
* * *
その後、私は、いっそう、重い想いを、自分の中に、くるめて。
自分の中で、なんとかしようと、もがき続けてゆくのです。
けれど、それは、決して、ARのせいじゃない。
私が、自分で、そのようにして、ここまで来てしまった、ということなのです。
Ray☆彡
腕の、日焼け、です。
異動前より、外へ出る機会が多いのですから、日焼けして当然(・・;)
その、少し、健康色に色づいた腕を見ていて、、、蘇ってきた、記憶。。
自慢込みの話になってしまったようで、
しばらく、、『この日記』の、投稿を、ためらっていました。
自慢…というか、
「そのとき」否定したかったのに、受け入れたままな形になってしまったというか。。
でも。 私にとっては、忘れられない話なのです。
もし、よかったら。。読んでください。。
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私が、大学を卒業した春。 就職して始めたお仕事は、
予備校の事務、でした。
同期は、男性2人 女性5人(私を含めて)。
その春。
仙台校が開校したので、仙台にも同期がいましたけれど、
もう何年も前から、完全に、連絡し合うことが途絶えていて。。
あの、震災のときは、、どんなふうだったのか……
* * *
こちらでも、仙台でも、数名ずつ、退職していった同期。
こちらの同期は、最後は、ARと私、女性二人だけが残りました。
(お互いに、プライベートでは、あい称の、敬称なしで呼び合っていたので、
「ここ」でも、敬称なしで、記します。)
残った私たち二人は、職場の帰り、よく出かけました。
ちょっと、あの街、この街と、立ち寄ってみたり、
帰りにごはんを、いっしょに食べたりして。
ほんのときどきでしたが、ジムや、
そして、旅行にも、いっしょに行きました。
* * *
ある日。
とうとう、私は、自分の、暗くて、重い、想いを、打ち明けます。
全部じゃなかったけれど、ほんの少しだけ…
ほんの少しだけだったけれど、それだけでも、私にとっては、
たいへんな勇気が必要でした。
吉祥寺の、、もう、どのビルだったかも、覚えていない。
3階か、4階くらい。
吉祥寺…
電車を乗り換えないと、職場からはいけない駅だけど、
どうして、吉祥寺だったのか…
窓際の席。 向き合って座って。
夜ごはんをいっしょに食べて。
…確か、サラダやパスタ。
コーヒーカップと、お水のグラスだけになったテーブル。
すこし短めな話を、ARは、黙って、聴いてくれました。
しばらく、、二人の間に、沈黙な時間が流れて。。
私が、黙ったままのARに、不安を感じ始めたころ。。
彼女が、口を開きました。
「Rayはさ、キレイな人だと思うよ?」
え?
私は、外見にまつわる話をしたのではありませんでした。
なのに、、どういうこと???
「そんなに、ほそくて、きれいで。
顔、ちっちゃくて、 首、長くて。
腕だって、そんなに、しろぉくて、ほそぉくて。」
なんの話か、私には、理解できませんでした。
…黙ったまま。 何も言えませんでした。
窓の外。 陽はとっくに暮れて。
ほぼ目の前に、街灯のひかり。
階下の道。 人々が、行き交っているのが見えました。
ARが、さっと、話題を変えました。
* * *
それから、少しずつ、私たちは疎遠になってゆきました。
私たちは、元々、AR、MD、私、3人で仲が良くて。
先輩の方々から、「3人娘」と、呼ばれていました。
3人でも、旅行に行ったりしていました。
3人だったから、バランスがとれていたのかもしれません。
二人になって、お互いが、お互いに対して、向き合うようになって。
お互いを深く考えたり、観たりするようになったのかもしれません。。
* * *
いま、想いだすと。。
ARは、私より、精神的に大人でした。
仕事も、私より、ずっと、できる人でした。
もしかしたら、あのとき。
ARは、ARなりの、アドバイスを、してくれたのかもしれません。
私、、という人間を、総合的に観て。
…私の伝える、「過去による今」、という部分だけではなくて。
「当時の今」や、「何十年か先の未来」を含めて、アドバイスをしようとしたとき。。
ARにとって、行きついた、私への話が、
そういうものになっただけ、、なのかもしれません。。
あるいは・・
まだ、お互いに、20代。
相談する側も、相談された側も、未熟だったのかもしれません。
少なくとも、私は。。
誰かに相談したとしても、その誰かからの言葉、、それを受け入れる準備は、
まったくできていなかった、
…と、「現在の今」なら、わかります。
* * *
今では、私たち3人は、全員が、とっくの昔に、退職しています。
MDは、2児のママ。
私は、MDが挙式した、4ヵ月後に結婚。
ARは、今も、独身、、です(たぶん)。
職場で知り合った「彼」とは、結婚を前提に、お付き合いしていたはずでしたけれど…
* * *
数年前。
「メールしても、ARから、返事が来ないよ~。」
MDからのメール。
「前に、ARが、連絡はFAXがいい、って、云ってたから、
そうしたんだけど、FAXしても、返事が来ない~。」
「私、電話、してみよっか?」
「電話した~。でも、電話にも出ないよ~。」…と、MD。
私たちは、「どうしよう?」と云い合いながら、結局、AR抜きで会いました。
MDは子育ての真っ最中。
外出がままならないということで、彼女の家で会いました。
他愛もない、たくさんな話を、楽しくして、帰ってきました。
MDも、そして、私も、
ARのことを、いまでも、大切な友だちだと感じていることが、
はっきりと、わかった時間、でした。
-------------------------------------------------
ARにも、何らかの、迷いか、悩みが、あったのかもしれません。
仮にそうだったとして。
想いを、先に、口にしたのは、私、でした。
先 あと … 先 と あと。
私は、悩みには、基本的に、高低や、優劣は、ない、と、考えています。
だけど。
先に打ち明けられてしまったら。
打ち明けられたほうは、苦しむこともある。。
* * *
その後、私は、いっそう、重い想いを、自分の中に、くるめて。
自分の中で、なんとかしようと、もがき続けてゆくのです。
けれど、それは、決して、ARのせいじゃない。
私が、自分で、そのようにして、ここまで来てしまった、ということなのです。
Ray☆彡
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