みなさま☆こんにちは☆ Rayです。
適当に入力したパスワードで、
偶然のようにして ログインができてから、
自分のブログを いくつか、読みました。
そのうちの、いくつか、が、やばかったんです。
覚えていなかったんですっ!
そんなふうな、過去が、私にあったなんて!
たとえば…
年始早々に、友達に電話をしたらしいのですけれど(私が)、
電話したことも、電話をした相手が誰だったかも、
覚えていなかったんです。
そして、たとえば…
ある日のこと。
夜ごはんに、イカフライを作ったらしいのです(私が)。
そのイカフライのことを、ダンナが、
「自分の人生の中で、一番おいしいイカフライだ♪」
…と、褒めてくれたらしいのですが。
まったく、忘れていたんです。
どちらも、よーく、よーく、思いかえてみると…
あー、そういえば。。。と、まさに、やっとこさで、思い出しました。
電話をした友達とは、その会話の中で、「会おうね。」となって。
数回、メールを交わしましたが、都合が合わなくて。
それっきりになっちゃって。
相変わらず、年賀状のやり取りだけになっています。
イカフライは…
あの日の、イカフライは…
スーパーで、
切り身になっていて、切れ目も入っていて、
おうちに帰ってから、下ごしらえ不要なイカを、
選んで、買ってきて、フライにしたのでした。
* * *
記憶。
いつだったかに、聞いた話では、
「忘れていることは、本当の意味での忘却ではなく、
脳はしっかり覚えている。」
とか、だったように思います。
すべてを鮮明に覚えていると、
日々の生活に支障が出ることや、、、
ルーティンな動作は、無意識でも出来るようにして、
人の脳?身体?に、負担のならないようにしていることなども、
あわせて聞いたような記憶があります。
ルーティンな動作。
たとえば…
家を出てから。
「あ! カギ、かけたかな?!」と、思いながら、
慌てて施錠を確かめに帰ってみると、
ちぁんと、カギがかかっていたり
…といったことが、それらに当てはまるようでした。
記憶にならないようにしながら、というか、
無意識でやっていることが、
人の毎日の中には、いくつかある…ということなんですね。
* * *
ところで。
今まで、生きていた数十余年の、毎日の、
すべてのすべてを、【鮮明に】記憶していたとしたら…
悲しみも、苦しみも、まったく癒えなくて。
同時に、喜びと、楽しさと、いつも、心が、共にある。
ダメダ…
そんなふうに、記憶が鮮明にある毎日なんて、
耐えられそうにありません…
「忘れること」っていうことは、
人の心にとって、大切なこと、なのかも???
人間の身体って、うまく出来てるなー。
* * *
いつだったか、
電化製品に「ファジィ」だか「ファジー」だかの機能があることが、
やたらと、宣伝されていた時代がありました。
あるとき。
「ファジィって、最近、聞くことが無くなりましたね?」と、
量販の家電屋さんに尋ねたら
その機能は、もう、当たり前になってしまっていて、
「わざわざ、宣伝したりすることがなくなった。」
…だ、そうでした。
そっかー。
すべての記憶が鮮明に残らないことって、
つまりは、ファジィな、気がします。
いい意味での、適当も、やっぱり、ファジィな、気がします。
身の回りにある、機械の多くも、ファジィになってきた、
…と、ゆーことは…
「機械」が、「人」に近くなっている…っていうこと
…なのかしら?
いえ、違いますね?
「人」に近くなるように、
「人」が「機械」を、作ってる、って、ことですよね…?
ってことは?
家電製品の集大成が、「人」になっちゃうっていうことでしょうか?
あー(・・;)
わかんなくなってきたー
Ray☆彡
適当に入力したパスワードで、
偶然のようにして ログインができてから、
自分のブログを いくつか、読みました。
そのうちの、いくつか、が、やばかったんです。
覚えていなかったんですっ!
そんなふうな、過去が、私にあったなんて!
たとえば…
年始早々に、友達に電話をしたらしいのですけれど(私が)、
電話したことも、電話をした相手が誰だったかも、
覚えていなかったんです。
そして、たとえば…
ある日のこと。
夜ごはんに、イカフライを作ったらしいのです(私が)。
そのイカフライのことを、ダンナが、
「自分の人生の中で、一番おいしいイカフライだ♪」
…と、褒めてくれたらしいのですが。
まったく、忘れていたんです。
どちらも、よーく、よーく、思いかえてみると…
あー、そういえば。。。と、まさに、やっとこさで、思い出しました。
電話をした友達とは、その会話の中で、「会おうね。」となって。
数回、メールを交わしましたが、都合が合わなくて。
それっきりになっちゃって。
相変わらず、年賀状のやり取りだけになっています。
イカフライは…
あの日の、イカフライは…
スーパーで、
切り身になっていて、切れ目も入っていて、
おうちに帰ってから、下ごしらえ不要なイカを、
選んで、買ってきて、フライにしたのでした。
* * *
記憶。
いつだったかに、聞いた話では、
「忘れていることは、本当の意味での忘却ではなく、
脳はしっかり覚えている。」
とか、だったように思います。
すべてを鮮明に覚えていると、
日々の生活に支障が出ることや、、、
ルーティンな動作は、無意識でも出来るようにして、
人の脳?身体?に、負担のならないようにしていることなども、
あわせて聞いたような記憶があります。
ルーティンな動作。
たとえば…
家を出てから。
「あ! カギ、かけたかな?!」と、思いながら、
慌てて施錠を確かめに帰ってみると、
ちぁんと、カギがかかっていたり
…といったことが、それらに当てはまるようでした。
記憶にならないようにしながら、というか、
無意識でやっていることが、
人の毎日の中には、いくつかある…ということなんですね。
* * *
ところで。
今まで、生きていた数十余年の、毎日の、
すべてのすべてを、【鮮明に】記憶していたとしたら…
悲しみも、苦しみも、まったく癒えなくて。
同時に、喜びと、楽しさと、いつも、心が、共にある。
ダメダ…
そんなふうに、記憶が鮮明にある毎日なんて、
耐えられそうにありません…
「忘れること」っていうことは、
人の心にとって、大切なこと、なのかも???
人間の身体って、うまく出来てるなー。
* * *
いつだったか、
電化製品に「ファジィ」だか「ファジー」だかの機能があることが、
やたらと、宣伝されていた時代がありました。
あるとき。
「ファジィって、最近、聞くことが無くなりましたね?」と、
量販の家電屋さんに尋ねたら
その機能は、もう、当たり前になってしまっていて、
「わざわざ、宣伝したりすることがなくなった。」
…だ、そうでした。
そっかー。
すべての記憶が鮮明に残らないことって、
つまりは、ファジィな、気がします。
いい意味での、適当も、やっぱり、ファジィな、気がします。
身の回りにある、機械の多くも、ファジィになってきた、
…と、ゆーことは…
「機械」が、「人」に近くなっている…っていうこと
…なのかしら?
いえ、違いますね?
「人」に近くなるように、
「人」が「機械」を、作ってる、って、ことですよね…?
ってことは?
家電製品の集大成が、「人」になっちゃうっていうことでしょうか?
あー(・・;)
わかんなくなってきたー
Ray☆彡
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