美しいものを 美しいとおもうとき
美しいものを 目にするとき
美しいことを 耳にするとき
わたしは、自分のなかの 「水」が 清められていくのではないか?
…と、感じることが、ある。
だから――
美しいもの 美しいことに 囲まれて過ごしたら
美しさだけを 知って育ったら
どんな人間になっただろうか、、と、おもう
だけど、それは
もしかしたら、、ひとりで生きてゆく、ということになるのかもしれないし。。
もしかしたら、、協調性を知らずに生きてゆく、ということになるのかもしれないし。。
もしかしたら、、素晴らしいかなしさを知らずに生きてゆく、といことになるのかもしれないし。。
もしかしたら、、ひとが多くかかえるこころを。。知らずに、、生きてゆく。。
…ということになるのかもしれないし。。
* * *
ひとは だれでも 「ひとりになりたい」と、おもうことがあるとおもう。
だけど、それは・・
「今までの自分があるからこそ」 だと、おもう。
そして、そうおもう「今までの自分」は、多くの人たちにお世話になって、
多くの環境を経験したからこそ、おもうこと、なのだ、とおもうとき。
もし、「ひとりになりたい」と、おもうのならば、
過去に出会った、すべてのひと、と、すべての環境に、感謝するべきなんだとおもう。
だけど。
「ひとりになりたいとき」って、その多くが「やんなっちゃったとき」だから。
だから、感謝を忘れているとき、、なんだなぁとおもう。
* * *
感謝って、、「感じて」 「謝る」 って、現すけれど。
どうして、、「謝る」のかナ。。?
「感礼」でも、いいんじゃない?
「感じて」 そして 「礼」 という意味で♪
ん~? 変ですか?
Ray☆彡
美しいものを 目にするとき
美しいことを 耳にするとき
わたしは、自分のなかの 「水」が 清められていくのではないか?
…と、感じることが、ある。
だから――
美しいもの 美しいことに 囲まれて過ごしたら
美しさだけを 知って育ったら
どんな人間になっただろうか、、と、おもう
だけど、それは
もしかしたら、、ひとりで生きてゆく、ということになるのかもしれないし。。
もしかしたら、、協調性を知らずに生きてゆく、ということになるのかもしれないし。。
もしかしたら、、素晴らしいかなしさを知らずに生きてゆく、といことになるのかもしれないし。。
もしかしたら、、ひとが多くかかえるこころを。。知らずに、、生きてゆく。。
…ということになるのかもしれないし。。
* * *
ひとは だれでも 「ひとりになりたい」と、おもうことがあるとおもう。
だけど、それは・・
「今までの自分があるからこそ」 だと、おもう。
そして、そうおもう「今までの自分」は、多くの人たちにお世話になって、
多くの環境を経験したからこそ、おもうこと、なのだ、とおもうとき。
もし、「ひとりになりたい」と、おもうのならば、
過去に出会った、すべてのひと、と、すべての環境に、感謝するべきなんだとおもう。
だけど。
「ひとりになりたいとき」って、その多くが「やんなっちゃったとき」だから。
だから、感謝を忘れているとき、、なんだなぁとおもう。
* * *
感謝って、、「感じて」 「謝る」 って、現すけれど。
どうして、、「謝る」のかナ。。?
「感礼」でも、いいんじゃない?
「感じて」 そして 「礼」 という意味で♪
ん~? 変ですか?
Ray☆彡
こんばんは☆うきさま☆
はい、、とても深いことに挑戦して記してしまったのだと、今さら感じています。
私はもう、苦しみはいらないです。
私が感じていた苦しみは、もしかしたら、「比較」をすれば、もっと苦しい方々が、たくさん、たくさん、いらっしゃるであろうことは、推測できます。
「今」で比較をせずとも、「時代」の比較で云えば、戦争中だとか、もっともっと古い時代の生活や。。
だから、ときどき、私は私を許せなくなります。
こんな程度のことで、苦しみにねをあげてしまう自分が、、情けなくて、申し訳なくて。。
実は、私、職場で、純粋だとか、悩みを知らずに大人になったかのように、思われることがあるんです。
「社会人になってから、普通の会社で仕事をしたことがある?」と、訊ねられたことさえ、ありました。
実は、主人さえ、私と出会った頃は、「この人は両親に大切に愛されて育った人だろう」と、感じた、と、云います。
それで、、ふと、考えてしまったんです。
美しいもの、美しいことだけに、囲まれて育ったら、、
どんな人間になるんだろうって。。
でも、きっと、それって、一種の隔離、ですよね?
隔離されて、美しいものを与えられるだけの人生、、ということになりはしないでしょうか。。?
それって、その人の人格を無視したことにも、、なるような。。
* * *
寄り添う。。
はい。 寄り添うって、とても素敵なことだと思います。
うきさまのお話を知った後の、後付けになってしまいますけれど。。
寄り添うこと、寄り添うことのできるひとに、私は憧れています。
私は、どうにも、自己主張が激し過ぎて、そのようにはできていませんけれど・・
* * *
謝る心を感じる・・
日本人らしいなぁと、ちょっと、、感じました。
でも、「気持ちをこめた」言葉なのですね。。
>うきも
うきさまは、必ず、相手(この場合は私の考え)を尊重する言葉を添えてくださいます。
そのような配慮を、こまかく、することのできる、、うきさまを、いつも、素晴らしいと感じます。
うきさまの周りにいらっしゃる皆さまが、、お幸せでありますように。。
いつか、、苦しみが時間の流れと共に、流れ去り、明るく軽いお気持ちが、こころのなかに、芽生えますように・・
Ray
身体の中の水が浄められる感覚、なんだかうきも分かります☆
わだかまりや不安定な気持ちが溶けていくような…。
きっと、本当に心の中の濁ったものが溶かされていくのではないでしょうか。
そんな気がします(*^^*)
そして、
美しいものだけを見て育つこと。
悲しみも知ること。
とても深いですよね。
悲しみや苦しみを経験するからこそ輝くものも、ありますものね。
難しいですよね。
そこまでの苦しみはいらないと思う自分もいますし…。
でも、美しいものだけを見てきた人は、苦しい思いをしている人の心に、本当の意味では寄り添えないのだろうなと思います。
そして、
美しいものだけを見てきた人なんて、この世界にはいないのではないかな?と、思います。だって、どんなに幸せそうで優しい美しい人も、うきの周りの人はみんなそれぞれ、めいっぱい苦しんできた人たちばかりですもん(^^;)
そして、感謝って、
謝る心を感じるのですよね。
自分のために。目的のために。そんな苦労をしてくれてくれて、すまなかった。
の、気持ちをこめたことばなので、謝るのだと聞いたことがあります。
でも、うきもどうせなら、もっと前向きに礼を感じたいな♪(*^^*)