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岩波古語辞典補訂版/基本助詞「や」解説/p1499(4)

2024-04-08 11:19:09 | 日本語文法
>「や」は終止形の下につき文の叙述の終わりに加えられた場合には、
>相手に質問し、問いかける気持ちを表す。

>この場合、話し手は、単に不明・不審だから
>相手に疑問を投げかけるものであるよりも、
>自分に一つの見込みないしは予断があることが多い。

>「雨に降りきや」と問う時、「降ったか降らなかったかわからない」のでなく
>「降ったに違いない」という見込み・予断を持ちながら、
>それを相手に提示して反応を待つのである。
>それが「か」の不明・不審・判断不能とする表現との相違である(4)。

「や」が終助詞となった場合の疑問詞の役割は、
漢文の影響があるという説に賛成だ。

日本に漢文が大量に入るようになって、
漢文の疑問詞が使われるようになった。
漢文の疑問文には疑問語を使う場合と、疑問詞を使う場合、その組み合わせとがある。

漢文道場p18より
>(漢文で)疑問を表す三つの形
>①疑問詞を用いる=「何」、「胡・溪・那」、「誰・孰」など

>②疑問の終助詞を用いる=「乎・邪」、「也・耶・与・興欠」など。
> これらの終助詞は体言や連体形の後なら「か」、
> 終止形の後なら「や」と読むのが原則

> 是レ魯ノ孔丘之徒与(か)=これ、魯の孔子の門人か?、
> 王曰ク有リ説乎(や)ト=王いわく説明できるかな?
> 是邪非邪=正しいかそうではないのか、是か非か

漢文の疑問詞を「か、や」と日本語で読んでいる。
こういう漢文の読み方が、日本語にも及んだ結果が次の歌だ。

>http://sakuramitih31.livedoor.blog/archives/22108722.html
>名にし負はば いざ言問はむ 都鳥わが思ふ人は ありやなしやと 在原業平
>意味
>都という名を持っているのならば、さあ尋ねよう、都鳥よ。
>私の思い慕っている人は健在でいるのか、いないのかと。

でも、こういう疑問詞の使い方、特に係助詞「や」の使い方は誤用だ。
言い方変えれば、「からごころ(漢心・漢意)」で、大和心じゃない。

係助詞「か」は先行部分疑問文で、漢文と同じだが(全く同じかわからんが)、
しかし係助詞「や」は後続部分疑問文で、
本来はドイツ語英語の決定疑問文と同じだ。

日本語では先行部分疑問文・疑問詞で係助詞「か」を使う方がわかりやすい。
平叙文の文末に「か」を付けると、平叙文がそのまま疑問文になる。

わかると思うが、この場合「か」より後続の文を省略して
日本人は「か」を使った疑問文にしている。

こうすることで「か」が文末になり、
文全体を先行部分疑問文(=日本人の一般的な疑問文)にできる。

英語では平叙文の文頭に「do」を付けると疑問文になるのと同じだ。
平叙文を覚えておくだけで、文頭に「do」を付けると疑問文になる。
後続部分疑問文になり記憶の節約になって便利だ。
「主語+動詞」の平叙文の語順を、「動詞+主語」にしても疑問文でも便利だけど。

先行部分疑問文「か」は簡単で便利な仕組みだ。
なので日本では「か」の先行部分疑問文が主流になった。
後続部分疑問文は、複雑でだんだん使われなくなったと思う。

繰り返すけども、ただ漢文の影響で「や」を「か」の様に誤用して
「や=か」の様に誤用して、そして現在に至った…と思う。



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