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方言に残る「は=あり、が=持つ」(4)、「~はる(京都大阪)」

2024-05-31 21:24:05 | 日本語文法
例えば「あり→ari→h+ari→hari→ha→は」の変遷がある。
「は、あり」は現在ちゃんと残ってる。
中間段階の「hari=はり」がどこかに残っていてもよいはずだ。

「未)はらず 用)はり 終)はり(はる) 体)はる時 已)はれば 命)はれ
こんな活用形だと想像する。「はり」の意味はもちろん「あり」だ。
そして偶然にも大阪弁・京都弁では…

>言う→言わはる(京都)、言いはる(大阪)
>買う→買わはる(京都)、買いはる(大阪)
>書く→書かはる(京都)、書きはる(大阪)
>気に入っている→気にいったはる(京都)、気に入ってはる(大阪)
>「食べる」→(大阪)「食べは(!)った」→(京都)「食べ(!)はった」

完璧じゃないが「はる」がある。意味は「あり」だろ。「はる」は娘言素だ。
京都弁は「はる」の前の音が「a」との事。

https:://kyotolove.kyoto/I0000179
>大阪弁の「~はる」は、立派な尊敬語であり相手への敬意を示す
>最も一般的な言い方とされます。

>いっぽう京都弁の「~はる」は、いちおう敬語の範囲ではありますが、
>「赤ちゃんが~しはる」など本来敬語を使わない身内にも使われ、
>その敬意度は低いとされます。

なぜ「~はる」が尊敬・丁寧なのか、それが書かれていない。

言ったはる=言った+はる=言った+ある・あり

「言った」で文は完結している。それに補助動詞「はる」がつく。
「書いた、言った」は過去形だ。
現在でなく過去だ。今じゃなくで過去だから距離感かな。

それに「はる=ある」だから、よけい距離感がある。
だから尊敬丁寧になるのではないか。

直接的に「誰それさんが、言った」とは言わずに、
文末に「ある・あり」を置く事で、そういう状況がありますとのこと。

つまり「(誰それさんが)言った、という状況があります」という意味だ。
このやり方・仕組み・構造が尊敬丁寧になるのだろう。

繰り返しだが
「あり→ari→h+ari→hari→ha→は」の横訛り変遷がある。

この変遷のほかに
「あり→ari→h+ari→hari→haru→はる」の横訛り変遷だと思う。
「u」で終わってるから動詞だね。






方言に残る「は=あり、が=持つ」(3)、「マスクせんでええがか」

2024-05-29 20:50:30 | 日本語文法
土佐弁
https://note.com/mnhds/n/n25ed1aae9a75
>「行くが?(行きますか?)」
>「寝るが?(寝ますか?)」
>「そうなが?(そうなの?)」
>「やるが?(やりますか?)」

 行くが?
=行く+が+φ(空集合、空文、空白、何も無い)
=行くはφを持っている
=行くは何も無いを持つ
=なので行くかどうかわからない→疑問文

 寝るが?
=寝る+持つ+φ
=寝るはφを持っている
=寝るは何も無いを持つ
=なので寝るかどうかわからない→疑問文

「そうなが? やるが?」も同様だ、と思う。
ところがそうでない方言もある↓

>石川県議会本会議場で8日午後に開かれた12月定例会の一般質問で、
>谷本知事が冒頭から約1時間にわたってマスクを着用せず、
>県議から「マスクせんでええがか」とヤジを飛ばされる場面があった。

「マスクせんでええがか」 = マスクしなくてもいいのですか!?
=マスクせんでええ+が+か
=マスクせんでええ+持つ+か(疑問詞、先行部分疑問詞)

この日本語訳は、「マスクしないで良い」は「か(疑問詞)」を持つ。
つまり「マスクしないで良い」という行動が疑問詞を持っている。
だから「マスクしないで良いのか!?」との疑問文・反語になる。

土佐弁・幡多弁、石川弁の「が」は
「君が代、我が家、我が国」と同様に「が=持つ」の意味を持つ。

日本は狭い島国と言われるが、土佐の高知と石川県は結構離れている。
しかしそこで話される言葉・方言の「が」の使用方法に共通性がある。

このことは土佐の高知と石川県、和漢朗詠集世界が似たような言語圏にあった証拠だ。
そして面白いことに似たように横訛りしている。
これをどう考えれば良いのか?

まあ、公理(2)「が=持つ」を、全国的に説明した一歩だと思う。



方言に残る「は=あり、が=持つ」(2)、「ゆうべ星が見えたがやきぃ」

2024-05-29 20:50:30 | 日本語文法
>https://www.nda.co.jp/memo/tosaben.html
>標準語:ゆうべ星が見えたんだよ。(ゆうべ 星が見えたのだよ。)
>土佐弁:ゆうべ星が見えたがやきぃ。
>幡多弁:ゆうべ星が見えたがよぉ。(高知県西部地方)

>https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1245900117
>「~き」は「~だから」という意味で、
>「~があるき」=「~があるから」、
>「~に行くき」=「~に行くから」です。

>土佐弁:ゆうべ 星 が 見えた が や きぃ

「が=持つ」、「や」は「は」と同じ「あり」の娘言素、意味は「あり」だ。

「きぃ」は「~だから」とのことだが、
「き」は日本語で過去の助動詞き、サ行変格活用動詞す、
アイヌ語「ki=する、事を為す」と似てる。

過去の助動詞 せ(未然形) 〇 き(終止形) し(連体形) しか(已然形) 〇 

「ゆうべ 星 が  見えた が  や  きぃ」
=ゆうべ+星+持つ+見えた+持つ+あり+した(する)

「ゆうべ、星が見えた(状況)を持ち、(それが)存在=ありを持った」+した(する)
ヒドい日本語だけど、直訳だとこうだな。

>幡多弁:ゆうべ 星 が 見えた が よぉ

「ゆうべ 星 が  見えた が  よぉ」
=ゆうべ+星+持つ+見えた+持つ+あり

「ゆうべ、星が見えた(状況を)持ち、それが(存在ありを)持った」

「よ」は、母音が「a→o」になっているが、「あり」の娘言素で意味は「あり」だ。
たぶん「あり→や→よ ari→y+ari→ya→yo」という横訛りであろう。



方言に残る「は=あり、が=持つ」(1)「どうしたが、ざまに疲れちょうね」

2024-05-28 23:26:01 | 日本語文法
高知県(土佐弁、幡多弁)は「は=あり、が=持つ」がいっぱいある。

幡多(はた)地方はとても不思議な地域で、
「平城宮跡で出土した木簡に、「播多郡嶋田里」と記されたのが、
 幡多郡の存在を示すもっとも古い証拠である[1]。…wiki」
と歴史は古いが、しかしよそ者には「幡多」地名は見つけられない。

どこかの地域名が時代と共に、だんだん立身出世して
その地域一帯を代表するものだけど、幡多はそうじゃないようだ。
だけども「幡多郡」と木簡にズバリ記されている。実に不思議だ。

幡多弁
>どうしたが、ざまに疲れちょうね 
=どうしたの?すごく疲れているね。
※ざまに=すごく、大変に

=どうした(疑問文)+が+ざまに疲れちょうね。
=どうした+持つ+大変疲れちょうね。

 「どうした」という疑問文は
 「大変疲れちょうね」を持つ・持っている。
=大変に疲れてるのは、どうしたの?(なぜなの?)

あるいは「どうしたが」の後続をちょん切っても良いと思う。
「どうしたが」
=どうした(疑問文)+が+φ(空集合、空文、何も無し)
=どうした+持つ+φ

「どうした(疑問文)」はφを「持っている」
→どうしたは何を持っているか、これでは不明だが、
→会話する同士ではわかっているので省略している。
→疑問文「にも」なる。

>今日は遊びに行かんが? =今日は遊びに行かないの?
=今日は遊びに行かん+持つ+φ ← この文には「が」以降に文がない=φ。
=今日は遊びに行かないのですか?

>なしそんなに飲んだが?
=なぜそんなに飲んだの?
※なし=なぜ=why

=なしそんなに飲んだが?
=なぜそんなに飲んだ+が
=なぜそんなに飲んだ+持つ+φ(空集合だが、飲んだ理由がある)
=なぜそんなに飲んだの?



「ご飯は僕が食べる」、「僕はご飯を食べる」 (4)

2024-05-26 23:27:12 | 日本語文法
(1)ご飯は僕が食べる
(2)僕はご飯を食べる

(1)の文は食べられるご飯に「は=あり」が付いて、主語・主題になっている。

そういう意味では「象には長い鼻が付いている=日本語的受動態」と同じだ。
「ご飯は僕が食べる」は日本語的受動態だ。
この文の「ご飯」が目的格・対象格であることをはっきりさせるために

(1)ご飯は僕が食べる
= ご飯をば 僕が 食べる 「ご飯は → ご飯をば(をは)」と変更
= 僕が ご飯をば 食べる  語順を変えた
≒ (2)僕は ご飯を 食べる  (1)とほぼ同じだ。
= 僕は ご飯をば(をは) 食べる  「ご飯を → ご飯をば」と変更

(1)と(2)二つの文は目的格・対象格の「を」省略した形だ。
(1)と(2)は同じ文だ。

「象には長い鼻が付いている」
=象は 長い鼻が 付いている
=長い鼻が 象には 付いている
=長い鼻が 象は  付いている

こう言っても同じだね。
目的格を表す「を、に」を省略しても大丈夫なのか?

全約古語辞典
>「に」=格助詞、接続助詞。
>    位置、行先、相手、原因理由、手段方法、状態、目的、添加…

「に=ni=n+i(い)」となっている。
つまり「に=ni=n+i(い)」はもともと「い(i)」であって
「n」は二重母音化を防ぐために挿入したと考えても良い。

つまり「に=い」と言っても良い。
そういう目で格助詞「に」を解釈すると

「象には長い鼻が付いている」
=象(という物) あり 長い鼻 持つ 付いている」

位置、空間的な場所を示す
>https://keirinkan-online.jp/high-classic-japanese/20201209/1004/3/
>この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり。
>(訳) この人は、国司の役所で必ずしも召し使っている者でもないようである。

 この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり。
=この人、国(という組織)必ずしも言ひ使ふ者(者)もあらざなり。

もともとは「i」であったが、「ni=n∔i」になって位置を表す格助詞に
使われるようになった、のであろうか。わからんな。