>この投入の用法は、万葉集などにも見られるが、それは歌の一句としての
>音節数が不足の時で、一句の拍数を整える時に使われる(3)。
>
>(3)a・春の野に鳴く「や」鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く
>(3)b・やすみしし わご大君の 恐き「や」 御陵仕ふる山科の 鏡の山に
ここの「や」も「あり」で良い。
「春の野に鳴く や 鴬なつけむと」
=春の野に鳴く あり 鴬なつけむと
=春の野に鳴いている鴬(を)なつかせようとしたらしい それのために
全体として (3)a は、
「春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く」
=春の野に鳴いている鴬をなつかせようとしたらしい それのために 我が家の園に梅の花が咲く
接頭辞「CO- KO-」=「と、も」=「(そこ)に、(そこ)へ、(そこ)へ向かって、(それ)に対して、
(それ)を以て、(それ)によって、(それ)のために、(それ)と共に 、(それ)と一緒に」
(3)b は
「やすみしし わご大君の 恐きや 御陵仕ふる山科の 鏡の山に…」
=やすみしし わご大君の 恐き あり 御陵仕ふる山科の 鏡の山に…
=我が大君の もったいなく 恐ろしいもの あり 御陵としてお仕えする山科の鏡の山に
これも「や=あり」で意味が通るし良い。「や」は「あり」の娘言素だ。
「春の野に鳴く「や」鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く」
この歌を検索していくと、不審なところがある。
万葉仮名では「和何弊能曽能尓=わが(へ)のそのに」にだろう。
しかし読み下し文の中には「わが(や)のそのに」に変わっている。
(へ)が(や)に変わっている。
どっちが当時の正しい発音だったか、というと(へ)が正しい気がする。
「和何弊能曽能尓」の「弊」は漢音で「ヘイ」、呉音で「ベイ」
日本語で「へい、へ」と読む。だから「弊=へ、ヘイ」なのでないか。
つまり編集者が現代の解釈(や=家)に合わせて、
原文の読み下しを(へ)から(や)に変えていると思われる。
>音節数が不足の時で、一句の拍数を整える時に使われる(3)。
>
>(3)a・春の野に鳴く「や」鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く
>(3)b・やすみしし わご大君の 恐き「や」 御陵仕ふる山科の 鏡の山に
ここの「や」も「あり」で良い。
「春の野に鳴く や 鴬なつけむと」
=春の野に鳴く あり 鴬なつけむと
=春の野に鳴いている鴬(を)なつかせようとしたらしい それのために
全体として (3)a は、
「春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く」
=春の野に鳴いている鴬をなつかせようとしたらしい それのために 我が家の園に梅の花が咲く
接頭辞「CO- KO-」=「と、も」=「(そこ)に、(そこ)へ、(そこ)へ向かって、(それ)に対して、
(それ)を以て、(それ)によって、(それ)のために、(それ)と共に 、(それ)と一緒に」
(3)b は
「やすみしし わご大君の 恐きや 御陵仕ふる山科の 鏡の山に…」
=やすみしし わご大君の 恐き あり 御陵仕ふる山科の 鏡の山に…
=我が大君の もったいなく 恐ろしいもの あり 御陵としてお仕えする山科の鏡の山に
これも「や=あり」で意味が通るし良い。「や」は「あり」の娘言素だ。
「春の野に鳴く「や」鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く」
この歌を検索していくと、不審なところがある。
万葉仮名では「和何弊能曽能尓=わが(へ)のそのに」にだろう。
しかし読み下し文の中には「わが(や)のそのに」に変わっている。
(へ)が(や)に変わっている。
どっちが当時の正しい発音だったか、というと(へ)が正しい気がする。
「和何弊能曽能尓」の「弊」は漢音で「ヘイ」、呉音で「ベイ」
日本語で「へい、へ」と読む。だから「弊=へ、ヘイ」なのでないか。
つまり編集者が現代の解釈(や=家)に合わせて、
原文の読み下しを(へ)から(や)に変えていると思われる。
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