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「ご飯は僕が食べる」、「僕はご飯を食べる」 (3)

2024-05-24 20:56:24 | 日本語文法
「公理(4)主語と動詞は隣り合っていれば良い。」

主語と動詞は隣り合っている必要がある。例えば
「は」は「あり」の娘元素だが活用をなくして係助詞と呼ばれている。
「が」は「持つ」の娘元素で活用をなくして格助詞になった。

「私は → 私+は → 私+あり → 主語+動詞」
となり、ちゃんと主語と動詞は隣り合っている。

「私が → 私+が → 私+持つ → 主語+動詞」
となり、ちゃんと主語と動詞は隣り合っている。

主語を名詞に拡大解釈すると、例えば
「ご飯を → ご飯+を →ご飯+動詞? → 名詞+動詞?」
こうなっていてもおかしくない。あるいは

「ご飯を → ご飯+を →ご飯+名詞? → 名詞+名詞?」
名詞を重ねる場合もあり得るね。

名詞を重ねる場合では、例えば「東京特許許可局」の場合、
「東京特許許可局 → 東京+特許許可+局 → 名詞+名詞+名詞」
のような例はスンナリと東京特許許可局の実態を想像できる。この例は
名詞の積み重ねだとなんとなくわかる。

「東京特許許可局 → 東京の特許許可の局」
こういう意味であって、名詞と名詞の間に「の」を挟んで考えている。
んじゃ「の」とは何ぞや?



「ご飯は僕が食べる」、「僕はご飯を食べる」 (2)

2024-05-21 23:27:33 | 日本語文法
(1)  ご飯は僕が食べる
(2)  僕はご飯を食べる

この文で「は」を係助詞で「題目、目的語」ととらえ、
「が」を「連体修飾語、主語、接続」ととらえているのが問題だ。

「は」や「が」の出自を考えるとわかりやすい。
「は=あり」、「が=持つ」に置き換えると

(1)  ご飯 あり 僕 持つ 食べる
(2)  僕 あり ご飯を 食べる

こういう風にわかりやすくなる。

「を」の出自がわからない。
それをちゃんと説明できれば、
もっとわかりやすくなると思うけど。

(1)  ご飯は僕が食べる
= ご飯+あり+僕+持つ+食べる
= 名詞+動詞+名詞+動詞+動詞
= S+V+S+V+V

(2)  僕はご飯を食べる
= 僕+あり+ご飯+格助詞「を」+食べる
= 名詞+動詞+名詞+格助詞「を」+動詞
= S+V+S+格助詞「を」+V

ドイツ語ならば「を」は4格になり簡単に思えるが
英語だと何だろう。



「ご飯は僕が食べる」、「僕はご飯を食べる」

2024-05-20 22:52:34 | 日本語文法
(1)  ご飯は僕が食べる
(2)  僕はご飯を食べる

対で挙げられる文の様です。なんでも係助詞「は」が
主格と目的格に使われている…だったかな?

(1) ご飯は僕が食べる
=  ご飯+あり+僕+持つ+食べる

「は=あり、が=持つ」に置き換えました。

この文の意味は、文頭で「ご飯があります、ご飯が存在します」
と言っています。

そして「僕が食べる」ですから
「僕は食べる(行為)を持つ・持っている」と言う意味です。

この文は「持つ+食べる」で
「持つ(have)+動詞」の面白い構造になっています。

それで僕は何を食べるのか?というと
文頭で「ご飯は=ご飯あり」と言っていますから
食べられるのは「ご飯」です。僕が食べるのは「ご飯」です。

(2) 僕はご飯を食べる
=  僕+あり+ご飯を+食べる

「は=あり」に置き換えました。

「僕があります・僕がいます・僕が存在します」と文頭で言っています。
「あり」で文を切ると、二文が一つになったと見なせます。

次ぎに「ご飯を食べる」と言っています。

>格助詞「を」は大きく分けて【対象】【起点】【経過域】の
>3つの用法があります。

ご飯を食べるのは誰かというと、「僕は=僕あり」ですから
僕こそがご飯を食べる主体です。

「ご飯を」=「対象となるご飯」という意味だ。



なぜ「い=強調」なのか?原因はぎなた読みの可能性(2)

2024-05-19 22:33:08 | 日本語文法

>上代の接頭語「い」 白井清子

>要旨
>上代の、動詞に冠する接頭語イには、主に次の二つの用法がある。
>第一は、 「い行き至る」 「い漕ぎ渡る」 「い行きもとほる」などのように、
>空間的に遠ぐへ移動する動作、空間的な長さに及ぶ動作のさまを形容、強調する。

>第二は、 「い継ぐ」「い副(そ)ひ居り」「い積もる」「い立ち嘆かふ」などのように、
>時間的に継続する動作、時間的な長さを含む動作のさまを形容、強調する。
>動詞に冠するということも合わせ考えると、イは現代語の副詞ズットに類する語で
>はないかと考える。第一の用法が第二の用法にまで拡大したものであろう。

>一、はじめに
>上代を中心に、次のような接頭語(注1)イがあったことが知られている。

>頁1

>海原の 畏き道を 島伝ひ い漕ぎ渡りて〔伊己藝和多利昼〕 あり廻り〈万葉集四四〇八〉

>天地の 初めの時ゆ天の河 い向ひ居りて〔射向居而〕〈万葉集二〇八九〉

>これらのイについては接頭語とだけ記す注釈書も多く、
>例はあがっていてもその用法を説明じたものはほとんどない。

>比較的詳しいものでも次のようなものがある程度である。
>動詞に付き、語勢を強め、或は語調を整へる。〈佐佐木信綱著選〉
>古くは明らかな意味があったのであろうが、奈良時代では不明。
>〈高木市之助・五味智英・大野晋校注文学大系「萬葉集」四三五番頭注〉

>「い」は奈良時代あるいはそれ以前に多く見られる接頭語。動詞について、その意味をつよめる。
>〈小西甚一校注、日本古典文学大系、『古代歌謡集』琴歌譜二番頭注〉

>動詞の前に付けて強調や語調を整えるのに用いる。詳細な意味は未詳。〈『日本語文法大辞典』山口明穂執筆〉
>各種辞典類も同程度で、結局、上代の文献ではよくわからない、ということである。

>しかし、このイは上代に一〇〇以上もの用例があるわけで、
>丁寧に見ていけば、何かもう少し探れるのではないかと思って調べてみた。
>その結果をここに記したい。

接頭語と言われる「い」の意味は良くわからない。
「動詞の前に付けて強調や語調を整えるのに用いる。詳細な意味は未詳。」
詳細な意味は不明だが、動詞の前につけて強調や語調を整えるって、なぜわかるんだろうか。
強調か語調なのか、普通はわからないはずだよ。

例えば、ここに例示されている文の

>海原の 畏き道を 島伝ひ/い漕ぎ渡りて〔伊己藝和多利昼〕 あり廻り〈万葉集四四〇八〉
>…海原の恐ろしい道を島伝いに漕ぎ渡ってめぐりめぐって…訳、万葉集四古典文学大系

これはギナタ読みだと思うから、

>海原の 畏き道を 島伝ひい/漕ぎ渡りて〔伊己藝和多利昼〕 あり廻り〈万葉集四四〇八〉

「い=i=~者~物~場所~状態~事~時」だから

 島伝ひい
=島伝ひ+状態で、島伝ひ+時に

であろう。

>天地の 初めの時ゆ天の河/い向ひ居りて〔射向居而〕〈万葉集二〇八九〉
>…天地の初めの時からずっと天の川に向かっていて、…訳、万葉集三古典文学大系

これもギナタ読みだと思うから、

>天地の 初めの時ゆ天の河い/向ひ居りて〔射向居而〕〈万葉集二〇八九〉

 初めの時ゆ天の河い
=初めの時から天の河+の場所、初めの時から天の河+の場所に

つまり訳としては

…天地の初めの時からずっと天の河「の場所に」向かっていて

「い」は世界的単語で「者、物、立場、状況、状態に時」の意味だ。
日本語がこれと無関係だろうか?

白井清子が100以上あるという動詞の強意強調語調の「い」は、
ギナタ読みという例を挙げていっても良いけど、
100以上だと飽きちゃうし、面白いケースを見つけたら書くという事にしたい。



國學院神名データベースの今回の取り扱い

2024-05-13 14:54:18 | 日本語文法
今回の神名データの取り扱いは

(1)「~のかみ(の神)、~のみこと(の尊、の命)」部分は計算対象としない。
 例えば

 ・「阿加流比売神/あかるひめのかみ/Akaruhime-no-kami」
  「~のかみ」は「あかるひめ」に付けた「~の神様」の意味で
  尊称・美称・説明であろうから、計算対象としない。

  んじゃ「ひめ」はどうなんだ?となると悩ましい。
  今回は一律に対象にしました。

  さらに「~のかみ(-no-kami)」の語尾「i」を対象としてると
  神名語尾は「i」ばかりになってしまって、調査の意味がなくなる。

 ・「天津久米命/あまつくめのみこと/Ama-tsu-kume-no-mikoto」
  「~のみこと」は「あまつくめ」に付けた神や人を敬って付けた
  美称であろうから計算対象としない。

  「~のみこと(-no-mikoto)」の「o」を対象にすると
  「o」が無意味に増える。

(2)「天照大御神 (天照大神)/あまてらすおほみかみ/あまてらすおおみかみ
  /Ama-terasuohoMikami」は有名な神様で「おほみかみ(ohoMikam)」は
  美称・尊称の気がする。
  しかし「あまてらすおほみかみ」はひとまとまりと見て対象とした。

  「おほみかみ(ohoMikami)」を対象にすると「i」が一つ増える。
  対象にしないと「u」が一つ増える。