■私たちの朝は意外と早い
一昨日、昨日の2日間、須藤さんとスタジオに入って、
歌詞を書きメロディを考えながら曲を作り、
そのまま楽器を弾いてデモテープを作りました。
とてもエキサイティングな時間でした。
その作業は僕が20代の頃に家でやっていたような作業を、
もっとずっとずっと高いレベルでやっているような気分でした。
そこにルールは無く、とても自由だったということ。
かなり必死についていくという感じでしたが、夢中になった。
何も知らず経験のない若い頃には
結局自由にしかできないので自由にやることになるけれど、
自分なりにいろいろなことを知り経験したあとで、
そこから本当の意味で心を解放して自由になるのはとても難しい。
自由といってもただメチャクチャにやればいいというものじゃなく、
「自由ってこういう感じだろ?」っていうふうにやるものでもない。
僕はスタイルや手法としての自由よりも、
精神的な自由が感じられるものが好きだし、目標だ。
オーソドックスな形でありながらそこに自由があふれているもの。
音楽だけじゃなく何の世界でも、
オーソドックスとかスタンダードというのはすごいこと。
時代を超えて大衆の評価を受け裁きを受けて来たというのはすごい。
アジフライ定食なんかもほんとうにすごい。
でもそこに今の風が吹いていて欲しいという願いもある。
自由。自分たちが切実に思っていることや
なんとなく考えていること、面白いなと思うことを、
カッコいいな、最高だな、美しいな、楽しいな、気持ちいいな、
そう自分たちが思うかどうかだけで音楽を作ること。
その音楽が、聴き手にどう響くかということや、
多くの方に向けて開かれているものかどうかということも、
すごく大事なことだけれど、
それは音楽を作るときになって急に考えるのではなくて、
もっとその前の、何かを考えたり思ったり、感じたり、
カッコいいな最高だな美しいな楽しいなと思う段階のところで、
そういうことになっていれば、
作る時は自分たちがいいと思うことだけに突き進めばいいのだと、
今回そんなことを感じた。
つまり、普段からそういうふうに暮らしていれば、
わざわざ音楽を作る時になって、
敢えていろんなことを気にしながらやることはないということ。
それは個人のレベルでも、プロジェクトのレベルでも、会社のレベルでも。
自然にそうなる。それがいい。
自由には信念が必要。
私はこう思う、私たちはこうしたい、ということ。
暮らし方や生き方。
信念があったら、その次に勇気。
勇気を出すってとても怖いけれど、ほんとうは楽しくて気持ちがいいこと。
コンサートをやるとき、僕には、
2000人とか3000人の人々の前で、
ステージの真ん中に3時間立ち続けることに対する根拠が必要。
昔持っていた根拠ではなく、今ここにあふれてくるような根拠。
そういう意味で、この2日間は大きな日になりました。
勇気を出すということを感じられたからです。
今朝の8時に須藤さんから、
「きのうの曲はとてもいいですね」と電話をいただきました。
須藤さんがそう言うのだからきっといいのだろうと思う。
僕はものすごくいいものが出来たと感じて昨夜からずっと興奮していました。
さて、今日から小さく段落を変えるような感じで過ごします。
暑いですからうまく休みながら、身体や心と相談しながらいきたいですね。
僕もそうします。