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南三陸町 志津川 津波被害

2011年04月12日 | 日記
南三陸町 志津川 津波被害


4月10日~12日の3日間でしたが、故郷の南三陸町志津川の親類宅に物資を届けに行ってきました。
町の様子は、とても悲惨でした。新聞などである程度は見ていたのですが、実際に現地で自分の目で見ると全然違います。
津波のとんでもない恐ろしさが目の前に広がっていて、もう言葉も出ません。ひどすぎる。
去年の8月に楽しく過ごした町並みはありません。
記憶にある目印になる建物が無いのでカーナビの表示を見ないと街の中をまともに走行出来ません。
町を通り抜け、山の奥にある親類宅へ向かう途中の集落もありません。道沿いの畑や田んぼの中に船や家の屋根などの残骸がいっぱいです。
大きな漁船(10M位)が山奥の生活道をちょうどふさぐ形で流れ着いていて、通り抜け出来なかったそうですが、自衛隊のおかげで今は、脇の畑に移動されていました。
誰もこんな山奥まで津波が来るとは思わないようなところです。
とにかくすごいパワーです。

親類による体験談を聞きましたが、とても神がかり的な内容でした。自分の判断で行動したことが全て良い結果に結びついている感じでした。

82歳の伯父は、町の病院の向かいのビルの屋上に一晩いたそうです。その日は、老人会の芸能大会があったそうで叔母も一緒だったんですが、イベントが終わり、会長の挨拶がきらいな叔母は先に家に帰ったので津波に遭遇しませんでした。後からゆっくり帰るとした伯父は50年前にもチリ地震津波で流された経験があるので、目の前に迫った津波を見て屋上に早めに逃げたそうです。そして海風が冷たく、雪の降る中を屋上で逃げてきた300人位の人達と一緒だったとのことです。満員電車の中のように人がびっしりで座ることも出来ずに立ちっぱなしだったそうです。

豆腐屋のいとこは、普段は、津波が来た時間は、車で配達や納品をしているはずだったんですが、当日は、なぜか、すべての納品先の豆腐が全然売れていなかったので納品・陳列作業が出来ずに自宅に戻っていたので津波警報で逃げることが出来たそうです。
きっと、豆腐の神様が助けてくれたに違いありません。

その時の行動が、うまく良い結果に結びついていて本当に良かったです。




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1 コメント

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お疲れさま (小鳥@KL250)
2011-04-13 19:58:05
南三陸町志津川遠征、大変ご苦労様でした。
体験談、生々しい限りです。
被災地に直接赴くことが出来ない者にもまだまだできる事、やらねばならない事が山積ってことですね。

某損保に勤務の私に損保業界に対する不満をこぼす方が少なからずいらっしゃいます。とてもいたたまれない気持ちです。
平成に戻るにはまだまだ時間がかかりそうですね。
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