男ゴコロと旅の空 rainbow in my heart

出張に行く。食事する。女を抱く。酒を飲む。仕事する。丸裸の俺?

高校時代 その1

2005-01-16 21:37:03 | さらば性春
さて、僕は某大学付属の男子高校に入学しました。
男子校っていうのは、当然男ばっかりですから、
女の子に気が散ることがない!
これは、結構楽なことです。マジに。
で、それじゃ、女の子と、どこで知り合うかというと。。。

『学園祭』

やっぱ、王道でしょう。これは。
で、1年生の学園祭のことです。
僕は、映画研究部で、役者やっておりました。もちろん主演です。
というか、『デタガリ』なんですね。
元々、中学時代も演劇部に入ったはいいけど、他に誰もいなくて、
結局1人じゃなにもできず。。。俺は北島マヤじゃないもんね!
で、中学時代は、ブラスバンド兼音楽部兼ラグビー同好会兼アマチュア無線部
所属だったのですが、
高校に入ったら、役者道をまっしぐら!と思いきや。。。

部活のオリエンテーション当日のこと。
この日は、午後の授業がなくなって、新入生向けに部活の説明会が、
全校一斉に行われることになっていました。
僕はまっすぐ、演劇部に行くつもりだったのですが、
僕の足が速いことに目を付けた陸上部に、呼び出しをくらってしまったのです。
「陸上部に入れ!」「入らない!」を繰り返し、やっと開放され、演劇部の部屋に
たどり着いたときは。。。
ドアはピシャリと閉じており、中から、真剣な話し声が。
演劇部って、声は通るからね、外まで聞こえてきて、なんか、中に入るタイミングが、
とれないんですよ。
入り辛いなぁって思っているときに、隣の映画研究部のドアの向こうから、誰かが
手招きしてる。
で、なんかそのまんま、映画研究部に入っちゃったんですけどね(笑)
で、その年制作した8mm映画で、僕は主役をやっていたわけです。

で、学園祭。
校内を巡っていると、あれ、どこかで見たことある女の子がいるじゃありませんか。
小学1年のときと、中学3年のときに、同じクラスだった、雪香って子だ。
今は音大の付属で、バイオリンやってるという。。。
で、まあ、もりあがりまして。
その後、文通みたいなのが始まって、時々デートしたり。
でもね、彼女とかって意識は、なかったのかなぁ。
後になって、雪香からの手紙を読み返したら、
「君のことを、なんて呼んだらいい?」とか、書いてあって。
ありゃ~、向こうはすごく意識してたのね!?ってことに、
もう、ずっと後になって、気付きましたが、後の祭です。

2年の学園祭では、同じクラスのノリヒト君とキヨミ君が、
女の子をナンパしてきた。
男2人。女の子は3人。清美、光美、智子という、北鎌倉女子学園の
一つ年上の3人組。
何故か、こういうときは、僕は必ず呼ばれることになっています。
ま、盛り上げ係ですね。少年漫画雑誌によくあるような話です。ハイ。
で、僕が担当した(笑)のが、清美さんでした。
だって、先に友達2人がナンパしたんだもん。
男の付き合い上、選択権はそいつらなんです。女の子の意思も確認せず、
勝手なものだけど。でも、僕からすれば、一番綺麗。一番好みの子だったので、
何の依存もありませんでした。
最初は、みんなして鎌倉に会いに行ってね。
その後も、よく鎌倉や藤沢まで、行ったなぁ。
今でも北鎌倉のあたりを車で通ると、胸がキュンとします。
「受験があるから、しばらくは会えません」なんて言われて、
春が来るのを、ずっと首を長くして、待っていたっけ。
当時(というか、今もずっと)好きだった、りりィの名アルバム
『Lilycism』の中に、“春子”って曲があったんです。
 
 長く寒い冬が続くと 本当に君が来るかと

 とても心配で心配で 眠れない日もあるんだ

 一番の風吹いたら 君に会えるの。。。

この曲を、毎日聴いていましたね。
りりィって、今は“私は泣いています”くらいしか知られていないけど、
その頃は、CMソングをずいぶん歌っていました。
資生堂では“彼女はフレッシュジュース”“オレンジ村から春へ”と、
2年連続春のキャンペーンソング歌っていたし、
その他にも、フェミニンの“綺麗になりたい”なんて、今聞いても
名曲だよなぁ。
で、このりりィから始まった、僕のハスキーボイス好きが、
後日ある事件へと繋がるのですが、それはまだ、ずっと先のこと。
。。。閑話休題。。。

清美さんのことでした。
結局彼女は、某外語大学に進学し、その後英国に留学してしまいます。
僕らは、手くらいは繋いだかな?
KISSもまだしないうちに、次第に疎遠になってしまったんです。
というか、最初に出合ったとき一緒だった光美:テルミさん。
チャコとヘルスエンジェルスのファンで、愛称チャコ。。。と、
遊びに行くようになっていたのですね。
ま、この子とも、結局なにもないままでしたが。

その当時、僕らの仲間内で、東京キッドブラザースが、
ちょっとしたブームになっていました。
お目当ては、坪田直子。そのうち柴田恭兵がテレビに出るようになって、
大ブームになるのですが、そのときは、まだそのちょっと前で。。。
僕はチャコと、キッドのミュージカル『失われた藍の色』を見に行くことに。
しかし、その直前に、僕は盲腸で入院。
チャコは見舞いに来てくれたものの、結局いつのまにか、
会わなくなってしまったのです。


童貞時代は、まだまだ続きます。











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