大学3年の後半は、映画作りに明け暮れていました。
結構女子大の映画研究部から呼ばれて、
役者やらせてもらっていました。
ポン女、トン女、跡見、相模女子。。。
元来デタガリなのと、女好きなのと。
特にポン女映研では、影の部長とも呼ばれていましたな。
部員の日々の行動、本物の部長よりも知っていましたから。
童貞なんですけどね(恥)
さて、大学3年の冬休みかな?
日テレの11PMから、
『六大学対抗・学生ポルノ映画監督大集合』
とかって企画が持ち込まれました。
大学生でポルノ撮ってる監督なんて、
そんなに、いないですよ。
でもまぁ、やってみるかってんで、これがまた
ヤラセです。六大学といっても、
法政・明治・日大・学習院・駒沢・どこだっけ?
という具合で、東京六大学なんかじゃ、ないわけです。
しかも日大というフレコミの監督は、僕の友人。
日大じゃないんだな。もう、適当です。
で、当然ポルノ撮るんだから、裸になる女の子が必要。
そんな子、いるわけないじゃないですか。
だって、僕、童貞ですよ!
(一応公式には、高校時代に正美としたことにしてあったけど)
そこは日テレから、モデルが供給されることになった。
で、撮影現場は、家。自分の実家(爆)。親父のベッド(水爆)
ところが撮影当日、親父が風邪引いて、ベッドで寝てて!
追い出すのに、苦労しました。
しかも、その日テレから来たモデルっでいうのが、
乳だけはでかいんだけど、くびれ、ないんです。
聞いてみると、SMグラビアで、ハムみたいに縛られる専門だとか。
しかも東北弁丸出しで、
『オラ、動くシャシンには、写ったことねんだ!』・・・って
いうじゃな~い!
もう、セリフのある映画なんて、作れるわけない。
TELエッチの映画にして、いろんなところから電話が
かかってくる。しゃべるのは男だけで、その子はただ、
アヘアヘ言っててもらうことにしたんだ。
最後のオチは、やけに激しくハアハア言う電話がかかってきて、
女の子がコーフンしちゃうけど、電話の相手は
犬でしたって。。。もう、最悪!
テキトーに編集して、さっさと提出しちゃいました。
ま、番組本番では、ウケたけどね~。
番組ゲストは小柳トム(後のブラザートム)と、このはのこ。
どっちも日大出身だったので、ニセ日大生のY岡くんは、
冷や汗かいていました。学習院代表の女の子なんて、
松岡きっこが
「浩宮様のご学友であらせられる」なんてしゃべっちゃったから、
停学くらっちゃうし!
さんざんな番組でしたな。
さて、そんなこんなのうちに、某T海大学の先輩が、
アクション映画を撮るということになった。
この人は、もうアクションオタクなんですね。
後にシロートのくせして“オールナイトニッポン”の
DJを2部、1部ともに勤めるという、
なかなかな人なんですが。
僕ら、迷彩のツナギにM1ライフル持って、
スワットチームのかっこうして、山道を走り回らされた。
その映画で出会ったのが、あけみねえさん。
P女の同学年なんだけど、一浪してるから、ねえさん。
とにかく、僕が20年間生きてきて出逢った、一番の美人でした。
その頃、ジュエリーマキのコマーシャルで一世を風靡した
スーザン・アントンっていう女優?モデル?がいたんですけど、
そんな雰囲気の、エキゾチックな美人です。
↑これがスーザン・アントン
僕、もう、夢中です。
撮影は、伊豆は須崎の貸し別荘で、3泊4日の合宿撮影から
始まって、その冬中、ずっと土日はロケやってました。
あけみねえさんは、藤沢に住んでるんだけど、
僕は毎回、送り迎えしてた。
その後、H大の僕の後輩の監督する映画で、夫婦役で競演もして。
会っていないときも、毎日のように、電話してたっけ。
何を話したかなんて、サッパリ覚えてないけどね。
あ、『何で毎日電話してくるの?』って言われたことあるぞ(爆)
俺、なんて答えたんだろ。
この頃、僕はずっとあけみねえさんと映画を撮っていて、
(僕は役者だけじゃなくて、カメラも回すんだけれど)
カメラの中のあけみねえさんから、いろんなことを、教わりました。
あけみねえさんは、目も、口も、大きい。それが、魅力。
それなのに、ねえさんは、大きな口を、コンプレックスに思っていた。
カメラ覗いていると、わかるんだ。
笑うシーンで、口元を隠そうとする。
ああ、こんなに美人なのに、やっぱり自分の中に、
コンプレックスもってるんだ、って知っちゃうと、
なんだ、美人だって誰だって、みんな同じか!って
気付くんですよね。
自分では欠点だと思っていることも、
実は裏返してみると、すごい魅力だったりする。
ならば、自分を隠そうとするんじゃなく、
ありのままの自分を、どんとぶつけてみるほうがいいや。
そんな風に、思うようになったのです。
送り迎えの車の中で、そんな話をすることで、
あけみねえさんは、さらに美人になりました。
僕は、いい男になったのかな?
T海大の先輩の映画は、大騒ぎして作った割には、完成しませんでした。
(だって、俺、見てないもん。見てないばかりか、アフレコさえ、やってない)
後輩の映画は、5月の映画祭で公開されて、
そのとき、僕はあけみねえさんに、薔薇の花束、贈ったことは、覚えてる。
でも、その後。。。いったい、どうしたんだろ。記憶が、ないんだ。
というか、他に彼女できちゃったもんで、
あけみねえさんのこと、もう、どっかいっちゃったんだね。。。
さて、その後日談。
僕が24歳くらいのときかな。
友達男女6人くらいで、逗子マリーナで遊んでいたら、あけみねえさんと、
ばったり会いました。うわぁ!ひさしぶり。
“また電話するね!”って言いながら、それっきりになって。。。
で、今度は30歳の頃。
GF(誰だか思い出せない)と一緒に渋谷の台南坦仔で食事してたら、
隣の席に、あけみねえさんがいた。
そのときはね、年末のシンフォニーⅡのカウントダウンクルーズに誘って、
二人でNEW YEARの乾杯をしたよ。
久しぶりに、藤沢まで、ドライブして。。。
「あの頃、好きだったんだよ」
「もちろん、知ってたわ」
なんていう会話があって。で、それから。。。
会っていない(笑)
今思えば、つくづく、もったいないような。ま、縁がないというか。
写真は、映画のロケのときに、あけみねえさんが撮ってくれたものです。
nao、どう思う?面影、ないでしょ?
さて、次回はいよいよ、正美以来、4年ぶりにできた“彼女”とのお話です。
結構女子大の映画研究部から呼ばれて、
役者やらせてもらっていました。
ポン女、トン女、跡見、相模女子。。。
元来デタガリなのと、女好きなのと。
特にポン女映研では、影の部長とも呼ばれていましたな。
部員の日々の行動、本物の部長よりも知っていましたから。
童貞なんですけどね(恥)
さて、大学3年の冬休みかな?
日テレの11PMから、
『六大学対抗・学生ポルノ映画監督大集合』
とかって企画が持ち込まれました。
大学生でポルノ撮ってる監督なんて、
そんなに、いないですよ。
でもまぁ、やってみるかってんで、これがまた
ヤラセです。六大学といっても、
法政・明治・日大・学習院・駒沢・どこだっけ?
という具合で、東京六大学なんかじゃ、ないわけです。
しかも日大というフレコミの監督は、僕の友人。
日大じゃないんだな。もう、適当です。
で、当然ポルノ撮るんだから、裸になる女の子が必要。
そんな子、いるわけないじゃないですか。
だって、僕、童貞ですよ!
(一応公式には、高校時代に正美としたことにしてあったけど)
そこは日テレから、モデルが供給されることになった。
で、撮影現場は、家。自分の実家(爆)。親父のベッド(水爆)
ところが撮影当日、親父が風邪引いて、ベッドで寝てて!
追い出すのに、苦労しました。
しかも、その日テレから来たモデルっでいうのが、
乳だけはでかいんだけど、くびれ、ないんです。
聞いてみると、SMグラビアで、ハムみたいに縛られる専門だとか。
しかも東北弁丸出しで、
『オラ、動くシャシンには、写ったことねんだ!』・・・って
いうじゃな~い!
もう、セリフのある映画なんて、作れるわけない。
TELエッチの映画にして、いろんなところから電話が
かかってくる。しゃべるのは男だけで、その子はただ、
アヘアヘ言っててもらうことにしたんだ。
最後のオチは、やけに激しくハアハア言う電話がかかってきて、
女の子がコーフンしちゃうけど、電話の相手は
犬でしたって。。。もう、最悪!
テキトーに編集して、さっさと提出しちゃいました。
ま、番組本番では、ウケたけどね~。
番組ゲストは小柳トム(後のブラザートム)と、このはのこ。
どっちも日大出身だったので、ニセ日大生のY岡くんは、
冷や汗かいていました。学習院代表の女の子なんて、
松岡きっこが
「浩宮様のご学友であらせられる」なんてしゃべっちゃったから、
停学くらっちゃうし!
さんざんな番組でしたな。
さて、そんなこんなのうちに、某T海大学の先輩が、
アクション映画を撮るということになった。
この人は、もうアクションオタクなんですね。
後にシロートのくせして“オールナイトニッポン”の
DJを2部、1部ともに勤めるという、
なかなかな人なんですが。
僕ら、迷彩のツナギにM1ライフル持って、
スワットチームのかっこうして、山道を走り回らされた。
その映画で出会ったのが、あけみねえさん。
P女の同学年なんだけど、一浪してるから、ねえさん。
とにかく、僕が20年間生きてきて出逢った、一番の美人でした。
その頃、ジュエリーマキのコマーシャルで一世を風靡した
スーザン・アントンっていう女優?モデル?がいたんですけど、
そんな雰囲気の、エキゾチックな美人です。
↑これがスーザン・アントン
僕、もう、夢中です。
撮影は、伊豆は須崎の貸し別荘で、3泊4日の合宿撮影から
始まって、その冬中、ずっと土日はロケやってました。
あけみねえさんは、藤沢に住んでるんだけど、
僕は毎回、送り迎えしてた。
その後、H大の僕の後輩の監督する映画で、夫婦役で競演もして。
会っていないときも、毎日のように、電話してたっけ。
何を話したかなんて、サッパリ覚えてないけどね。
あ、『何で毎日電話してくるの?』って言われたことあるぞ(爆)
俺、なんて答えたんだろ。
この頃、僕はずっとあけみねえさんと映画を撮っていて、
(僕は役者だけじゃなくて、カメラも回すんだけれど)
カメラの中のあけみねえさんから、いろんなことを、教わりました。
あけみねえさんは、目も、口も、大きい。それが、魅力。
それなのに、ねえさんは、大きな口を、コンプレックスに思っていた。
カメラ覗いていると、わかるんだ。
笑うシーンで、口元を隠そうとする。
ああ、こんなに美人なのに、やっぱり自分の中に、
コンプレックスもってるんだ、って知っちゃうと、
なんだ、美人だって誰だって、みんな同じか!って
気付くんですよね。
自分では欠点だと思っていることも、
実は裏返してみると、すごい魅力だったりする。
ならば、自分を隠そうとするんじゃなく、
ありのままの自分を、どんとぶつけてみるほうがいいや。
そんな風に、思うようになったのです。
送り迎えの車の中で、そんな話をすることで、
あけみねえさんは、さらに美人になりました。
僕は、いい男になったのかな?
T海大の先輩の映画は、大騒ぎして作った割には、完成しませんでした。
(だって、俺、見てないもん。見てないばかりか、アフレコさえ、やってない)
後輩の映画は、5月の映画祭で公開されて、
そのとき、僕はあけみねえさんに、薔薇の花束、贈ったことは、覚えてる。
でも、その後。。。いったい、どうしたんだろ。記憶が、ないんだ。
というか、他に彼女できちゃったもんで、
あけみねえさんのこと、もう、どっかいっちゃったんだね。。。
さて、その後日談。
僕が24歳くらいのときかな。
友達男女6人くらいで、逗子マリーナで遊んでいたら、あけみねえさんと、
ばったり会いました。うわぁ!ひさしぶり。
“また電話するね!”って言いながら、それっきりになって。。。
で、今度は30歳の頃。
GF(誰だか思い出せない)と一緒に渋谷の台南坦仔で食事してたら、
隣の席に、あけみねえさんがいた。
そのときはね、年末のシンフォニーⅡのカウントダウンクルーズに誘って、
二人でNEW YEARの乾杯をしたよ。
久しぶりに、藤沢まで、ドライブして。。。
「あの頃、好きだったんだよ」
「もちろん、知ってたわ」
なんていう会話があって。で、それから。。。
会っていない(笑)
今思えば、つくづく、もったいないような。ま、縁がないというか。
写真は、映画のロケのときに、あけみねえさんが撮ってくれたものです。
nao、どう思う?面影、ないでしょ?
さて、次回はいよいよ、正美以来、4年ぶりにできた“彼女”とのお話です。
お誕生日おめでとうございます!
上の写真はBayさんなの?
モノクロなのがいい感じですな
今は71キロですからね。せめて68キロには戻したい。
筋肉ついちゃってるから、それ以下には、落としたくないんだけど。
今、体脂肪率21%くらいだから、ま、19%くらいが、丁度よさそうでしょうか。
ちょっと走れば済むことなんですけどね、
そのちょっとが、難しいんだな。
目指せ逆三角形!
今日は事務所で展示会の準備だぁ!
僕は今まで3回、髭をたくわえました。
この20歳の頃と、27歳、30歳。
昔は赤ひげで、髭の中に、茶色やオレンジ色の
髭がまじっていた。
(赤ひげ=好色の、イメージどおりだ!)
それが最近は脱色しちゃって、
武藤敬二みたいな、白髪まじりの髭になっちゃったんですね。
で、最近は髭は、断念しています。。。
髭、当時流行ってました?
夫も大学時代は生やしてたって。
夫は今年42才。二つ違いかあ。
うちはもう、髪の毛なかなか生えてこないよ~
髭は伸びるのにィ