琵琶湖へ行った時安土城跡を訪ねてみた。安土城跡は現在、摠見寺の所領となっており、織田信長の霊を弔いながら管理されている。

安土城跡案内図
二王門や三重塔などは残っているが建物の多くは焼失したままになっており、正面のやや段差が高い140段を越す幅広い石段にしか当時の威容は感じられない。

二王門

三重塔

正面の石段
石段の脇には徳川家康、豊臣秀吉、前田利家らの屋敷跡だとされる場所があり、天下布武と刻まれた鐘撞き堂が建てられている。

鐘撞き堂
階段を上っていると綺麗に晴れ上がった空に2羽のトビが舞い、あたかも信長が天から見張っているかのように感じた。


空を舞うトビ
石段には石仏や地蔵さんの石、さらには仏足石なども石材として使われており、信長らしいやり方だと感じた。

石段に使われている石仏
だんだん登っていくと、城の中心部の黒金門跡を経て信長の廟、天守台跡へとつながっていく。

仏足石

黒金門跡

信長廟


天守台への石段

天守台の礎石

天守台跡の説明図
天守台の礎石は意外に少なく狭いと感じたが、説明によると此処は地階、1階は周りの石積みの上に乗せられていたようである。迫り出した部分を含めるとかなり広かったのかもしれない。
まわりの石積みの上に登ってみると、信長も見降ろしたであろう、近江盆地、西の湖から遠く琵琶湖、その対岸まで見え、方角を変えると伊吹山も見えた。

琵琶湖を経て京都の方角

伊吹山

西の湖
私は何か歴史を500年近くも遡った気がした。信長は都の方角だけでなく、自身が力を蓄えた岐阜の方向も見ていたのかもしれない。もちろん、琵琶湖を利用した経済圏の確立も考えていたに違いない。
西の湖は強風で波打ち鳥影は見られなかった。周辺ではハイイロチュウヒの姿を求めて多くのバーダーさん達が大きなカメラを構えていた。改めてまた訪れてみたい。